毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

雑食としての人間が考えるべき事~ファーストフードとスローフードの間で

雑食動物のジレンマ 上──ある4つの食事の自然史肥満の原因は何か?健康にも環境にも悪いものでさえ食べてしまう雑食動物の人間は何を食べるべきなのか。その答えを求めて、ファストフード、オーガニックフード、スローフード食物連鎖を追う旅が始まる。全米100万部突破のベストセラー。 (2009年刊)

 

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雑食動物のジレンマ

ネズミや人間にはもっと多くの栄養素が必要で、いろいろな食べ物をたべなければならなず、そのいくつかは疑わしいものだ。食べ物になり得るかもしれないものに遭遇すると、雑食動物には、単食動物が経験したしたことのない二つの感情の対立が起きる。両方の感情には、それぞれ生物学的な理由がある。一つは新しいものに対する合理的な恐怖心である食物新奇性恐怖、もうひとつは危険がだ必要な受容性である食物新奇性嗜好だ。(90ページ)

アメリカの食文化

文化がつくり上げた習慣やルールは、人間の欲と社会の衝突を調停する役割を果たしてきた。・・・アメリカには、しっかりとした食文化が存在したことはない。移民はそれぞれの国の調理法をアメリカの食卓に持ち込んできたが、どれもアメリカ全体の食文化をまとめるほど強いものではなかった。・・・しっかりとした食文化の伝統がないという脆弱さが、いかに雑食動物としての不安を招き、(以下略)・・・何世代もほとんど変わらない食生活を続けて、味や伝統という古めかしい基準に従って食べ物を選ぶ文化があることを、特にアメリカ人は簡単に忘れがちだ。(106ページ)

現代アメリカの雑食のジレンマ

私たちは動物として振り出しに戻ったも同然だ。何を食べるべきか悩める雑食動物に。料理について培ってきた知恵や自分の感覚という知恵に頼る代わりに、私たちは専門家や広告、政府の食品ピラミッド図、ダイエット本などに頼り、科学を信じて食べ物を選ぶようになった。それはかつて文化がうまくやっていたことだ。スーパーやファーストフード店で、資本主義は自然界に似た風景を再現している。そして私たちはいま、複雑で、栄養学的危険をはらんだ、雑食動物のジレンマが深く影を落とす風景に立ち戻っているのだ。(109ページ)

f:id:kocho-3:20140819081923p:plain228ページ 究極のスローフード

我々の食卓

 著者は本書の中で、「完璧な食卓」、自分で採ったものを自分で料理する事に挑戦しそこに深い感動を感じたと記す。一方でそれにかけたコスト、特に時間コストが非現実的なまでになった事も指摘をする。本書によりアメリカでもスローフード、ともすれば資本主義と両立しがたい、食に対する複眼的意見がある事に救われる。そして我々は日本の食卓、食文化に感謝をすべきであろう。アメリカの食文化を多く受け入れながらも一定の多様性を確保できていると私は思っている。

蛇足

資本主義の立場からは「食事のレシピは特許にならない」。(寓話として)