毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうしてグーテンベルグは印刷革命と言われるのか?~メディアとは権威である、

グーテンベルクの謎―活字メディアの誕生とその後

 

高宮氏は中世英文学の研究家。慶應HUMIプロジェクトを担当。 

「手書きから活字印刷へ-書物の大量生産を実現した15世紀ドイツの発明家グーテンベルクとは何者だったか.その美しい「聖書」はどのように生まれたか.」

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1987年丸善が8億円でオークションで落札慶應義塾図書館|グーテンベルク42行聖書 マインツ 1455年頃 紙

 

 ベーコンが中世3大発明と讃える

発明直後にはさほど一般的に認められたとはいえない活版印刷術を、火薬や羅針盤とともに、ヨーロッパに近代をもたらした中世の三大発明としたのは、哲学者フランシス・ベーコンであった。その著書「ノブム・オルガヌム」(1620)の第1巻で、彼は学問・戦争・航海に大変革をもたらしたものとして、これらを挙げたのである。(78ページ)

それではどうやって西欧社会に影響を与えたのか?

 

キリスト教宗教改革への影響

1996年10月に、慶應義塾大学が収蔵した「グーテンベルグ聖書」をお披露目すうr式典が行われた。挨拶に立った駐日ヴァチカン大使は、グーテンベルグの偉業によって聖書の内容が津々浦々まで広まったとほめたたえると、次に駐日ドイツ大使が立って、「グーテンベルグ聖書」の印刷がほどなく宗教改革に結びついたと高く評価する挨拶をした。(174ページ)

 

新たな知識の広がりを加速

折からルネサンスの学芸復興の動きや、宗教革命、新世界の発見、大学の拡大と科学の発展に呼応して、書物による情報は貪欲に求められた。初期の印刷では聖書や百科事典など中世のベストセラーが選ばれた。しかし中世の価値観を否定する人文主義者たちが、中世以前にあったギリシア・ローマの古典の写本を再発見すると、しだいに中世の作品は忘れ去られ、古典と新しい学問が印刷されるようになった。一つの文化が終息し、新たな文化が生まれる際には、このボトルネック(狭隘化)現象が起きる。

 

識字率の向上、国語の成立

16世紀になって自国語聖書が次々に生まれると、カトリックではその使用を禁止し、一方プロテスタントはこれを奨励し、義務づけた。ELアイゼンステインは名著「印刷革命」において、「こうして、字を学ぼうという動機は、カトリックの平信徒からは取り除かれ、プロテスタントの信者には公式に押しつけられた」と傾聴に値する見解を述べている。(180ページ)

こんにち世界中でグーテンベルグの名前がよく知られているように、イギリスではキャクストンの名前はだれでも知っている。イギリス史上でキャクストンが高く評価されるのは、他の印刷業者がラテン語作品を中心に出版していた時代に、もっぱら英文学の傑作(カンタベリー物語、1476)を次々と世に送り出し、その結果、標準英語の成立の一翼を担ったからである。(156ページ)

 

出版ビジネスの成立~出版資本主義@アンダーソン(想像の共同体)

1564年の「禁書目録」には、各国語訳の聖書だけでなく、エラスムスやルターの著作も掲載された。いずれもベストセラーだったが、とりわけ二人の著作は印刷者が一財産を気づくほどの売れ行きを示した。カトリック教会は、「禁書目録」に載ることがかえって宣伝となり、売れ域に拍車をかけるという皮肉な結果をもたらすことに気づかなかった。(180ページ)

 

メディアとしての権威の獲得

19世紀イギリスの思想家ジョン・ラスキンは、「ゴシック建築の装飾には神の意志と恩寵が宿る」と言った。「グーテンベルグ聖書」の僧職ページだって、神の存在を感じる現代人は多いかもしれない。(185ページ)

f:id:kocho-3:20140309175631p:plain(本書口絵より)

冒頭の写真右側、1ページ目「PROLOGVS」のPの文字の拡大部分、金箔が使われている。

 

今から560年前の印刷革命が明らかにする事

グーテンベルグの活版印刷は新しいメディア媒体を作り出した。豪華な装丁、端正な活字の羅列、教会という部隊装置に劣らぬ権威を醸成させる事ができる。だから既存権威の教会が様々な策を労した。我々は権威を受け入れる事に慣れている。人々が活版印刷による書籍に権威を見いだした時メディアとなった。

 

蛇足

メディアの定義は権威を有するもの。