毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

日曜日の意味について知っておくべき事、キリスト教由来ではない

「私たちの世界」がキリスト教になったとき――コンスタンティヌスという男

ヴェーヌ氏は古代ローマ史の研究家。「ヨーロッパ世界の根は、キリスト教にはない。ローマ史の碩学が、コンスタンティヌスによる国教化という「起源」の物語を書き直す。」

  

西暦312年コンスタンティヌスが行ったキリスト教公認

西洋史、更には世界史にあってさえ決定的だった出来事のひとつが、312年に広大なローマ帝国内で生じた。共同皇帝の一人、この壮大な物語=歴史のヒーローである、コンスタンティヌスが(『おまえはこの徴のもとに勝利するであろう』という)夢のお告げのあと、キリスト教に改宗したのである。

当時のキリスト教徒は帝国の人口(おそらく7千万人)のわずか5ないし10%程度でしかなかったと考えられている。コンスタンティヌスの改宗は、ローマの政治史のたっぷり半分を満たしている、将軍たちの単調な抗争のひとつの、単なる一挿話に過ぎなかった。

コンスタンティヌスはガリア、ブリタニアヒスパニアを統治していた。(コンスタンティヌスが統治をするはずだったイタリアを奪い取る)勝利を得るためにキリスト教徒たちの神に信頼をおき、改宗した。コンスタンティヌスの歴史的役割とは、みずからの宗教になったキリスト教を異教と区別し、これをあらゆる仕方で優遇される宗教とすることだった。

コンスタンティヌスは気宇壮大な人物

彼は改宗のおかげで、みずから超自然的な叙事詩と見なしていたものに参画し、これを主導し、その結果、人類の救済を保証しえたのだった。想像力に富み、更には古代妄想的でさえあったコンスタンティヌスはまた、活力も慎重さも十分に備えた行動家であった。だからこそ自らの目的に到達できた。すなわち、ローマの王座がキリスト教になり、教会が権力になったということである。もしコンスタンティヌスがいなかったなら、キリスト教は一つの前衛的宗派にとどまっていたことだろう。

 

ともかく日曜日を~コンスタンティヌスの法制化が今に繫がる

コンスタンティヌスによる日曜日の安息の法的な制定だった。皇帝はそのためにいくらか狡賢く、手の込んだ才知を発揮して、今でも私たちのものである一週間の時間的リズムを、暦が違っていた古代社会に強制した。彼はこの搦手(からめて)によって市民の一年の流れのなかに、キリスト教の宗教暦をいくらか忍び込ませたのだが、それは各人の宗教的な自由を侵害しないものだった。

私達の1週間はユダヤキリスト教と同様に異教の民衆的占星術に依存している。このおかげでコンスタンティヌスは、異教徒を怒らせずに、キリスト教徒を満足させることができた。占星術の教義はユダヤ教徒の週間 とのまったくの偶然の一致によって、毎日が一つの天体の徴のもとにおかれ、この天体から名前を得ていると教えていた。

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週・曜日は古代バビロニアで生まれる(WIKI)

その後、さまざまな経路を経てユダヤ教徒が使っていた。天動説の太陽系モデルでは七曜は、地球から見た角速度が速いものほど地球に近く、月・水星・金星・太陽・火星・木星土星の順に並んでいると考えた。しかし、曜日の順序は、この順番またはその逆というわけではなく、2つおき(3つめごと)に遡っている。

 

ヨーロッパ の根っこにあるのはキリスト教ではない。

コンスタンティヌスは辺境のドイツが本拠地、自らが生き残りローマ帝国を統一する為、宗教対立を利用する為、既存の宗教の枠組みと距離を置いていた少数派、新興のキリスト教を選択した。「一つの帝国、一つの皇帝、一つの宗教」であり、政治的な慎重さの賜物である。日曜日はキリスト由来ではない、ある意味あらゆる宗教に反しない仕組みであった。

蛇足

曜日は法律によって決められただけ。時間は自分で区切るもの。