毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

2世紀と16世紀をつなぐ’世界の仕組み’に関する本

  天文学の誕生――イスラーム文化の役割 (岩波科学ライブラリー)

 三村氏は中世科学史の研究家、本書では1冊の本に着目する。

この書物が、ギリシャ天文学の立役者、プトレマイオス(100頃~170頃)の「アルマゲスト」に基づいて、ナスィールッディーン・トゥースィー(1201~1274)が書いた天文学書「世界の仕組と学覚書」だったことである。(中略)イスラームという宗教と正反対に位置する様に見える天文学という科学が、マドラサ(学院)というイスラーム布教の中目で必要とされたのは驚きである。

アルマゲスト

アルマゲストローマ帝国時代にエジプト・アレキサンドリアのプトレマオスによって書かれた数学・天文学の専門書。ギリシャ語で記述され、数学全書、後に大全書という書名であった。これが後にアラビア語に翻訳された際に al-kitabu-l-mijisti("The Great Book") という書名になり、これがさらにラテン語に翻訳されて Almagest という名前に変わった。『アルマゲスト』に書かれていた天動説は惑星の運動を説明するモデルとして1000年以上にわたってアラブ及びヨーロッパ世界に受け入れられた。(Wiki)

世界の仕組について学覚書

著者ナスィールッディーン・トゥースィー(1201~1274)シーア派を代表するペルシャ人進学者。本書で2つの円運動から直接状の動きを得る、トゥースィーの対円 (Tusi-couple) と呼ばれる惑星モデルを考え、プトレマイオスの惑星運行モデルの難点の一つであったエカントの除去に成功した。地動説が現れるまで、トゥースィーの宇宙の体系は最も進んでいた。(Wiki)

なぜイスラームは天文学を必要としたか?

イスラム帝国アッバース朝で最盛期を迎える、また同時に科学が隆盛を誇る時代でもある。三村氏はイスラームで天文学が発達した理由を以下の様に説明する。

①アッバーズ朝はササン朝ペルシャを取り込む過程で彼らの占星術にかかる知識や諸外国の文化を取り入れる為の翻訳事業を継承、保護する必要があった。ま

イスラム帝国は当時の新興宗教であり、一神教であるイスラム教が国教であり、キリスト教やペルシャの国教であった二神教のマニ教と教義論争を繰り返す事でイスラム教の正当性を確立しようとした。

③10進法を基礎とするインド数学と高い分析能力を持つインド天文学書を活用する事ができた、

イスラーム帝国の指導者カリフは多国籍の民族を統治する為に論証に基づく議論を多用した。その為に論証思考のできる助言者を重用した。プトレマオスのアルマゲストも最高水準の論証思考としてイスラームにより再発見された。

 

トゥースィーによるプトレマイオス天文学の修正

 この様な背景の下、トゥースィーは世界の仕組について学覚書」でプトレマイオス天文学の修正、拡張を行った。そしてそしてこれはコペルニクスの「天球回転論」(1543年)に大きな影響を与える。

占星術への需要から始まった天文学はへの関心は、アッパース朝宮廷のマジョーリス(諮問機関)で培われた、論証を重視する姿勢と世界の仕組みを説き明かそうとする姿勢を受けて、ハイア(’世界の仕組み’の意)の書を生み出すまでに展開した。そして、このハイアの書」の延長戦上にコペルニクスの「天球回転論」があった事は間違いない。イスラーム世界の宮廷の持つ独自の知的空間が世界をより体系的で論理的に把握することを促した結果、コペルニクスに地動説を生み出す素地を与えたと言える。(112ページ、語句を一部整理)

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左から、アルマゲスト(2世紀)、世界の仕組の学覚書(13世紀)、天球回転論(16世紀)