毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

日本語で読める幸せ

日本語が亡びるとき

水村氏は小説家、思春期を米国で生活をした経験を持つ。日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で において以下の論を展開している。

①日本は日本語を国語として成立させ得た。これには江戸から明治にかけて、ⅰ書き言葉を通じ成熟、ⅱ印刷資本主義が成立、ⅲ植民地されなかった、という好条件の結果であり必然ではない。条件が変われば成立しなくなる。

夏目漱石の三四郎を「日本で〈学問〉をする困難をあますことなく描いた小説である。」(204ページ)ととらえる。そして明治、大正、昭和初期に書かれた日本近代文学の文章は「出版語」として確立された文章である。

③インターネットの普及は英語を普遍語(学問を行う時に使う言葉)としての地位を肥大させ、日本語を普遍語の地位から話し言葉に下方シフトさせる可能性がある。(

➃インターネットの時代に立ち向かう為には選ばれた日本人の一部がバイリンガルになり一人の日本人として英語で意味のある発言ができる必要がある。(276ページ)

⑤日本の国語教育は日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである。(318ページ)

源氏物語~世界最古の小説

自分の母語に近い現地語で書くうちに、一千年先、日本文学を世界に知らしめる平安文学を生んだ。そこには、父権社会の禁忌を逆手にとった女たちの、輝かしい勝利があった。日本人であれば女であるある私もしみじみと、そして晴々と、誇らしい。だが、その勝利も、近代に入り、西洋から国語イデオロギーが輸入され、日本人が自分たちの文学史を自分達の言葉で書かれたものを中心に見直し、編纂し直してからの勝利でしかない。(164ページ)

日本語が示してきた概念

方丈記の冒頭、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」は量子物理学を前提とする多元宇宙論でもあり、エントロピーに抵抗しようとする生命観でもある。これらのものを残していく責任を痛感する。