この世の法則、科学では因果律といい、仏教では縁起、という~『 真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話』佐々木閑氏×大栗博司氏(2016)
佐々木氏は仏教哲学、大栗氏は素粒子論、の研究家。 心の働きを微細に観察し、人間の真理を追究した釈迦の仏教。 自然法則の発見を通して、宇宙の真理を追究した近代科学。 アプローチこそ違うが、この世の真理を求めて両者が到達したのは、 「人生の目的はあらかじめ与えられているものでなく、そもそも生きることに意味はない」という結論だった。(2016)
科学では因果律
近代科学は、自然界を一組の「法則」によって説明することを目指してきました。物理学者だけではありません。化学でも生物学でも、「現在」の状態が分かれば法則によって未来が原理的に予言できると考えます。もちろん、過去がどうだったかもわかるでしょう。それが科学の基礎にある因果律というものです。(大栗氏72ページ)
科学は人生の目的を与えることができるか?
宇宙そのものに意味はないので、その(科学の)研究を通じて得られるものにも究極的な意味はないのかもしれません。でも、その喜びの深さは、私にとっての幸福と呼んでいいように思います。(大栗氏187ページ)
仏教では縁起
仏教の言葉では、それ(科学でいう因果律)を「縁起」と言います。・・・縁起とは因果律のことです。
縁起とは自然界の法則ですから、釈迦が現れようが現れまいが関係なく、この世はそれに従って動きます。そこのたまたま現れた釈迦がその法則性に気づいて、私たちに教えてくれた。それが仏教という宗教の基本構造なのです。(佐々木氏80ページ)
仏教が与える人生の意味
私は(旧欲的には死の恐怖から)耐えて生きるのはしんどいから、自分で目的をつくる人生がいちばん幸福だと思います。・・・釈迦は、自分自身でいかに生きるかを決めて、いちばん好きな道を選んで邁進していたら、いつの間にか仏教という新しい世界的な文明を生み出していました。(佐々木氏186ページ)
科学と仏教の共通点
現実の本当のあり方とは、・・・長い時間をかけて人類が到達した、意識の機能を最大限に発揮して得られる世界観、すなわち科学的世界観も基づくこの世のあり方であって、それは釈迦が想定した世界と一致します。・・・より良い判断を下し、より良い状態を実現するための必須の条件は「正しく物事を理解する」という姿勢であり、それが、科学と、そして釈迦の仏教の共通項なのです・・・(佐々木氏190ページ)
真理の探究
我々は様々な偏見に囚われている。佐々木氏は最大のものは“「宇宙の真ん中に自分がいる」という思い込み”(16ページ)だと指摘をする。これらの偏見、思い込みを排除しない限り、より良い判断をすることはできない。科学が天動説から地動説へのシフトは今までの既成概念を削除しなければできなかった。科学では因果律、仏教では縁起、言葉は違っても法則を理解し自ら真実に近づこうとすることを求める。科学と釈迦の考えた仏教、そのいずれもが「世界を正しく見る」ことにこだわるのである。
蛇足
自分を除けて世界を見る
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