聖地を創る方法はあるか?~『聖地の想像力―なぜ人は聖地をめざすのか 』植島啓司氏(2000)
植島氏は宗教人類学の研究家、宗教が変わり、国家が替わっても、聖地の場所は変わらない。なぜ聖地は何千年も移動せず、人は聖地をめざすのか?(2000)
エルサレムという聖地
エルサレムというのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの聖地として有名だが、実は、バハイ教やドゥールズ教など100以上の宗教の聖地だった形跡がある(現在キリスト教だけでも約40の宗派がコミュニティーを作っている。)メッカにしても同じく、あのあたりの遊牧民やヘブライの各部族にとっては、すでにイスラム教成立以前から聖地として機能していたのである。(15ページ)
岩のドーム
エルサレムはまさに世界の中心だった。この世界のすべてのものがそこから生まれた。なかでも岩のドームは一種特別な場所だった。ユダヤ教徒にとってはアブラハムが息子遺作を神に捧げた場所であり、キリスト教徒にとってはイエスの死と復活の舞台であり、イスラム教徒にとっては預言者マホメットが天国への旅をした場所なのであった。・・・しかし、そこがかつてはただの一枚岩だったこともよく知られた事実である。(133ページ)
岩のドーム:イスラム教の第3の聖地であり、「神殿の丘」と呼ばれる聖域となっている。現在はイスラム教徒の管理下にあるが、南西の壁の外側の一部だけが「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にある。岩のドームの建設はウマイヤ朝第5代カリフであるアブドゥルマリクが688年に着工した。(Wiki)
イエスをめぐるエピソードとエルサレムの実際の場所(聖墳墓教会)が呼応しているのがわかる。たとえば、・・・(判決の門と呼ばれる場所には)イエスの死刑判決文が貼り出されている。・・・このように聖地では神話と場所が密接に結びついて一種のメモリーバンク(記憶装置)としての役割を果たしている。すなわち、そこにはあらゆる移動の記憶が含み込まれている。(138ページ)
聖墳墓教会(せいふんぼきょうかい)は、エルサレム旧市街にあるキリストの墓とされる場所に建つ教会。ゴルゴタの丘はこの場所にあったとされる。コンスタンティヌス1世は325年頃に、キリストの磔刑の場所、ゴルゴタに教会を建てることを命じた。時代が下って、ファーティマ朝のカリフ、ハーキムはキリスト教会の破壊を命じたため、1009年10月18日には一旦教会そのものがなくなってしまった。その後東ローマ皇帝コンスタンティノス9世モノマコスが1048年に小さな教会を再建した。土地は1099年1月15日の第1回十字軍の騎士によって奪還された。(Wiki)
聖地は動かない
「聖地はわずか1センチたりとも場所を移動しない」ということが非常に大切なポイントの一つだと思う。(15ページ)
ただの”1枚岩”も1300年経つと、、、
聖地の想像力
なぜエルサレムに3大宗教の聖地が隣接して存在するのか?宗教はそれ以前の宗教を否定して確立していく。従来の聖地を破壊して、自らの聖地にすることでそれ以前の宗教の持っていた伝統、歴史をも引き継ぐことになる。聖地が動いてしまっては、聖地の記憶が断絶してします。一方信者は聖地を目標に移動する。それは地理的な移動だけでなく自己の時間、歴史軸としての時間の中をも移動することになる。聖地に向かって移動することそのものがメモリーバンクの機能の一端を担う構造になる。聖地は皆が移動してくることによって周辺の、そして過去の情報の中心に存在することになる。
それではこれから新しい聖地を作ることはできるか?既存の聖地を新しいストーリーに転用する、これが手っ取り早い方法である。聖地をブランドとして読み替えると、ビジネスに同じ構造を発見する。
蛇足
聖地には最初の仕掛人がいる
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