毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ディズニーランドをどうして「夢の王国」と呼ぶのか?~『ディズニーランドという聖地』能登 路雅子 氏(1990)

ディズニーランドという聖地 (岩波新書)

能登氏はディズニーランドにビジネスとして関わった経緯を持つアメリカ文化の研究家、カリフォルニアの「魔法の王国」ディズニーランドとは、いったい何なのか。(1990)

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ディズニーランド

 アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルス近郊に位置し、1955年にオープン、敷地面積は730,000㎡。

ディズニーランドの原点は趣味だった

自分の鉄道(模型)を思い通りに走らせる敷地が欲しいとディズニーが考えていた1951年ごろ、彼はもう一つの趣味に情熱を傾けていた。それは、動く人形づくりである。・・・映画製作の合間にさまざまな模型をこしらえ、自分だけの夢の世界に浸る一方で、ハリウッドという映画の都にはこれといって気のきいた観光名所がないことに目をつけたディズニーは、ハリウッド北部にある自分のスタジオのそばの16エーカー(約2万坪)の敷地に遊園地を建設する計画をたてた。(55ページ)

ディズニーランドは空想から構想

ディズニーランドの設計のユニークさは、こうして(最初の候補地が取得できなかった)、立地場所や地形が決定される以前に計画が進められたこと、つまり空想が現実に先行していたことにある。

たとえばあなたが広大な土地を手に入れたとしよう。そして、そこに何でも好き勝手なものを建てたり作ったりしてよろしいということになったら、一体どんなものを考えるだろうか。当時のウォルト・ディズニーの心を占めていたのは、中世の王侯貴族や19世紀アメリカの大富豪のみが許されたこんな途方もない夢の計画であった。・・・ある土地を思い通りにデザインしようとしていた点において、このときのディズニーの意志は、ルイ14世鉄道王ヴァンダービルドのそれと変わらない。彼がその土地に自分の苗字を冠せて、「ディズニーランド」つまり「ディズニーの国」と命名した事実は意味深長である。(57ページ)

ディズニーランド建設の初期資金500万ドルの資金調達

ディズニーランドは、もともと遊園地を作ろうとして出来たものではなく、映画制作者ウォルト・ディズニーが創造力の次なる発露を模索している過程でしだいに凝固していった、いうなれば異端的アイディアから生まれたものであった。資金を提供したのも当時のニューメディアであるテレビ界の、それも異端的存在の新参ネットワークであった。(68ページ)

ディズニーランドとは何なのか?

(ディズニーランドに聖地としての性格を与えたのは)自分たちの分化や理想を最もシンプルに、かつ誇らしげに表現した場所としてディズニーランドを支持してきたアメリカ大衆の集合的な力に他ならない。・・・種々雑多なアメリカ人たちを統合する場として、ディズニーランド以上に効果的な文化装置はないといってよい。(204ページ)

「夢の王国」ということ

ディズニーランドの原点はディズニーの「鉄道模型と動く人形作り」という2つの趣味であったことを知る。それを活かす理想のステージとして、現実からではなく理想から着想されたのがディズニーランドであった。ディズニーの理想は、多数のアメリカ人の夢でもあったからこそディズニーランドは聖地になった。夢は大きければ大きいほど多くの人を惹きつける。ディズニーランドは夢の王国として生まれていた。

蛇足

ディズニーランド1個分の土地があったら何をしますか?

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