「蓼食う虫も好き好き」には医学的根拠があった~『おいしさの人類史:人類初のひと噛みから「うまみ革命」まで』J・マッケイド氏(2016)
マッケイド氏はサイエンスライター、“味覚”5億年の壮大な歴史。(2016)
味覚は個人差が著しい
人間の味覚認知に大きな幅があるということは、五感の中で味覚をユニークな存在にしている。視覚、聴覚、触覚、および嗅覚の個人差はごくわずかだ。とどのつまり、生き延びるためには、みな多かれ少なかれ、同じような感覚世界で暮らしてこなければならなかったはずだ。・・・それ(味覚)は常に多くの感覚世界を包含してきた。このことは、わたしたちが苦味と呼ぶ味覚に、とりわけよく当てはまる。(59ページ)
苦味は不思議な存在
苦味は、他の風味と組み合わせると美味になる。(苦味に耐性のある人にとっては、だが)。その苦味がなくなったら、食物から楽しい刺激が一つ消えてしまうことになるだろう。ブロッコリーとそのアブラナ科の仲間、カリフラワー、芽キャベツ、ケール、大根などーーは世界でもっとも広範に栽培されている野菜だ。(61ページ)
苦味を感じる人、感じない人
(苦味を感じる)テイスターたちはそうでない人たちに比べて、より強い味覚の刺激、および総合的に言って、より多くの風味情報を手にしているのだ。中には感度が1万倍強い人もいた。(味覚科学者の)バルトシュクは、こういった人たちを「スーパーテイスター」と呼んだ。彼らは、ノンテイスターとは異なる方法で風味を感じている。ノンテイスターが穏やかなパステルカラーのように味を感じるところ、スーパーテイスターたちはギラギラしたネオンサインのように感じているのだ。(81ページ)
人類と味覚
(人類の)始祖グループに備わっていた苦味のテイスターとノンテイスターの区別は、その後世界中に広がり、人類の大部分をどちらかのグループに分けることになった。(78ページ)
人類が地球全体に拡散するにつれ、苦味のテイスターは、毒を検出することによって仲間の生存を助けていったかもしれない。他方、ノンテイスターは新しい食物をどんどん試し、有望な食べ物を見つけたときには、それを苦味が苦手な仲間に教えたことだろう。(85ページ)
おいしさの人類史
苦味受容体は舌の上だけでなく、体内に散在するという。逆に言えば苦味を知覚するのは細胞に備わった何かの感覚器を苦味の受容体として転用したものだとも言える。我々は本質的には避けるべき苦味をどうして嗜好するのか?苦味を受容した時に生じる苦味以外の無意識の反応が身体には存在し、それを欲しているのかもしれない。
本書によれば苦味をより感じるかより感じないかは、遺伝的にテイスターとノンテイスターに分かれるという。激辛カレーを食べられる人と食べられない人を想像すれば味覚は極めて私的な感覚だと気づく。人類は長い歴史の中で、新しい物を食べようとするチャレンジャーと、苦味を感じ食べない人の両方の存在によってリスク分散のメリットを受けてきたのだろう。
蛇足
「蓼食う虫も好き好き」は本当だった。
蛇足の蛇足
意味:辛くて苦い蓼を好んで食べる虫がいるように、人の好みは多様性に富んでいるということ。
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