毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

産業革命前のハイテク・グローバル商品は何だったか?~『ペルシア王は「天ぷら」がお好き? 味と語源でたどる食の人類史』D・ジュラフシキー氏(2015)

ペルシア王は「天ぷら」がお好き? 味と語源でたどる食の人類史

 ジュラフスキー氏は言語学コンピュータサイエンスの研究家、国境や文化を越え、世界を魅了した食と、食にまつわる言葉の歴史の集大成!(2015)

ジェラフスキーはケ・チャップとは16世紀中国福建と台湾で使われていた福建語で「保存した魚のソース」に由来すると説明する。

 

ケ・チャップは中国の輸出商品

 

18世紀の初めには、魚醤とアラック(中国式の蒸留酒)は中国商人と同様にイギリス人商人にとっても利益をもたらすものとなっていた。それは東インド会社の貿易商で、1703年にインドネシアとマレーシア、ベトナム、中国、インドを旅行したチャールズ・ロッキアーの報告から読み取れる。彼の著書『インドにおける交易の記述』は、資本家志望者の手引書のようなもので、アジアで築きうる巨万の富や、中国人や他の外国人と交渉して金持ちになる方法が書かれている。

桶入りの醤油が日本から運ばれる。最高のケ・チャップはトンキン(ベトナム北部)産のものだ。しかしいずれの製品も、中国ではとても安く生産、販売されている。(中略)これほど儲かる商品は他にない。(81ページ)

産業革命以前、中国は先進工業国だった

実際のところ、17世紀後半にイギリス人の船乗りたちがケ・チャップをイギリスに持ち帰っていた頃の中国は、生活水準、寿命、一人当たりの国民所得のどの点をとっても、世界でもっとも豊かな国であり、全世界の総生産の大部分を生み出していた。中国がアジア内の貿易を支配し、優れた製造技術(織物、衣類、陶磁器、蒸留法)を有していたことは、すなわち、産業革命の時代までは中国が世界経済を支配していたということになる。こうした事実から、ポルトガル人やイギリス人、オランダ人が、なぜあれほどアジアに到達しようとやっきになっていたかが理解できる。…一方ヨーロッパには1800年までアジアの製造基盤に匹敵するものが存在しなかった。ヨーロッパがアジアの相当に贅沢な品々と交換できる物と言えば、ボリビアやペルー、メキシコに築いた新しい植民地の鉱山で獲れた、金や銀だけだった。(85ページ)

ケ・チャップが教えてくれてこと

中国と東南アジアで作られる発酵させた魚のソースから始まり、日本の鮨、さらには現代の甘いトマトのチャツネにいたるまでのケ・チャップの物語は、つまるところグローバル化と、世界の超大国による何世紀にも及ぶ経済支配の物語なのだ。…ケ・チャップは、これまでの1000年の大半にわたり、中国が世界を支配していたことを思い起こさせてくれるものなのだ。(87ページ)

ケ・チャップはグローバル商品

 産業革命の以前のハイテク商品は織物、衣類、陶磁器であり、調味料であった。輸出産品というと工業製品を想像しがちであるが、今もワインやブランド品などは高い付加価値を持っている。当時のケ・チャップは高級ワインなどと同等の付加価値を持つものであったのであろう。

1800年頃のイギリスのケ・チャップのレシピにはトマトとアンチョビが入っていた。アジアの魚醤の名残りと新大陸原産のトマトがレシピに併存していた。それがアメリカに渡る過程でアンチョビを入れなくなり、中南米で生産された砂糖を沢山入れることになり現在に至る。確かにケ・チャップはグローバル経済が生み出していた。

蛇足

産業革命前、ケ・チャップはハイテク・グローバル商品の一つだった

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