毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々は”機械仕掛けの神”を探しているのか?~『社会は情報化の夢を見る---[新世紀版]ノイマンの夢・近代の欲望 』佐藤俊樹氏(2010)

社会は情報化の夢を見る---[新世紀版]ノイマンの夢・近代の欲望 (河出文庫)

佐藤氏は社会学の研究家、新しい情報技術が社会を変える!―原著「ノイマンの夢、近代の欲望」(1996)から15年、何がどう変わったのか?(2010) 

 

1990年代の原初のインターネットの姿

(インターネットの世界は)21世紀の未来社会の先駆けとも見られていた。とりわけ日本人には、全員の自発的参加を理念に掲げるコミュニティは新鮮に映ったようだ。けれどもアメリカ社会にとっては、さらには近代社会にとっても、これはむしろ先祖帰りであった。つまり、近代の最もオーソドックスな姿であった。…最初の近代社会、最初の近代的な国家といえるものが生まれたのは、17世紀の北アメリカのピューリタン植民地である。それは宗教的ヴォランティアが法人会社を改造してつくったものだった。…要するに、住民がマサチューセッツ州という会社をつくり、その株主となって、公共サービスを提供する事業をはじめたと考えればいい。…(インターネットの)運営のあり方は、ピューリタインたちの会社的社会という、原近代の姿を電子メディア上で再生する試みだったのである。(250ページ)

原近代と救済論

救済論というのは、簡単にいえば、「この世の終わりがもうすぐやって来る」が「これに加わる人たちだけは救済される」という言説だ。…現代のアメリカでも救済論的な語り口が人々を動員する力は強い。人々を強く魅了し、巻き込み、そして意図した方向かどうかはともかく、実際に社会をある程度変えていく。新しい情報技術や企業への投資もその一つである。そこに夢見て、お金を投資するわけだ。(300ページ)

技術が救済をもたらす

神の去った地上で救済を求めるとすれば、社会の内にあって内でないものに向かわざるをえない。現代人によってはそれが技術なのだろう。情報化の話が救済論的だrと述べたが、具体的に何によって救済されるのか。その根拠をつきつめていけば、単純なタネが一つ残る。情報がたくさん共有されれば、世の中はうまくいく。神のような全知に少しでも近づけば、一人一人の人間も社会はもっとうまくいく。そんな信仰が息づいている。(301ページ)

救済論を語るエバンジェリスト

 

エバンジェリスト」は、もともとはキリスト教の「伝道者」を意味し、主にキリスト教の啓蒙活動をしている人などを指す言葉。

近年、海外のIT企業において、「自社の製品やサービスについて分かりやすく説明(伝道)する人」という意味でエバンジェリストという役職が生まれ、日本でもIBMマイクロソフトなど外資系IT企業の日本法人において、講演やセミナーでプレゼンやデモンストレーションを行う役職として存在している。

社会は情報化の夢を見る

 

本書は1996年「ノイマンの夢・近代の欲望」の増補・改定版である。15年後の2010年出版された。本書の補章「情報化社会その後」から引用した。技術は最終的に「機械仕掛けの神」を求めているのである。Googleのモットーは「Making the world a better place」

そこには確かに終末思想と救済論が存在する。だからこそ、IT企業にはエバンジェリストというタイトルが名実ともに存在する。

我々近代社会は技術革新によってより幸せになれると考える社会に生きているのである。我々が新技術、新製品を欲しがる原点がここにある。

蛇足

 新技術、新製品だけであなたは満足していますか?

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