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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々の理想郷は「地球村」なのかもしれない~『ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する 』佐藤俊樹氏(1996)

ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する (講談社選書メチエ)

佐藤氏は社会学の研究家、「技術が社会を変革する」=技術決定論を脱構築し、技術と社会のダイナミックな対話を通して、21世紀社会を展望。(1996)

 

2010年改訂版が出ていました。

 

マクルーハンの言う情報化社会

 

基本的な枠組みは、①聴覚系メディアの段階→②視覚的メディアの段階→③電気メディアの段階というメディアの発展段階をたてた上で、この各段階のメディアの特性が同時期の社会の基本的な枠組みを決めていく、という形になっている。

第一の視覚系メデイアの段階というのは、主なコミュニケーションが肉声である状態をいう。・・・・肉声を主なメディアとする社会は(a)小規模で(b)集団性は強くなる。具体的には、いわゆる「原始的な社会」、つまり小さな集団が一つの有機体のように動く社会を考えればよい。

第二の視覚系メディアの段階とは、主なコミュニケーションが文字、特に表音文字という視覚系のメディアになった状態である。…視覚系メディアの段階では、ある中心から広い空間を一元的にコントロールする中央集権的な社会が作られる。具体的には、ローマ帝国のような「帝国」型社会を考えればいい。こうした文字メディアの特性は印刷技術の発達によって最大限に発揮される。…人類は視覚的メディアが圧倒的に優位の状態に入り、(a)中央集権的で(b)個人を基本的な谷とする社会、つまり近代社会が作る出されたわけである。

第三の電気メディアの段階になると、その流れが逆転する。電気メディアは音声を電気化して伝える。…こうして(a)地球規模の(b)身体の連続体が出来上がる。これがマクルーハンのおう「地球村」である。(11ページ)

情報化社会論は未来社会論の一種

情報化社会論は未来社会論の一種であり、情報技術の発展から社会の変化を予測しようとする。いわば、技術予測から社会予測を行う議論である。だが、本当はその逆で、社会予測がなければ十分な技術予測はできない。そのため情報化社会論は、実際には、出来合いの未来社会イメージをもってきて、それを後知恵的に技術の進歩として語ってきたのである。そして、社会や人間をコンピュータ技術でなぞらえるAI的アナロジーによって、その転倒をうまく隠蔽してきた。そのことが情報技術と社会の関係を見えなくさせてきたのだ。(23ページ)

コンピュータの誘惑

「メモリ」や「プログラム」といった(人間の行動に用いられてきた)用語が示すように、もともとコンピュータは人間をモデルにしてつくられてきた。現在のコンピュータの基本構造を考案したのはジョン・フォン・ノイマンだが、彼は意図的に人間をアナロジーとしてそのアイディアを提示した。…コンピュータ系の情報技術の場合、テクノロジーと社会のしくもがどうしても同型になりやすい。これは他の技術にはない、情報技術ならではの効果である。(61ページ)

情報化社会と言われて久しい

 

日本で情報化社会という言葉が流行しだしたのは1971年であるという。ちょうどそれは世界初のCPUがインテルで開発された時でもあり、

本書は技術が社会を変えるのではなく、社会が技術を選び取った結果であるという立場をとる。情報化社会という言葉には技術進歩によって決定論的に社会が変化するということが前提となっている。その技術予測にはどこかで社会予測、あるいは未来への願望がある。それを技術予測という名で裏打ちしていることになる。

我々は情報化社会の先に、40年にわたって、「地球村」という理想郷を追い求めているだけかもしれない。

蛇足

 

 

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