毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

500年に渡って戦争を続けてきたヨーロッパが今考えていること~『ヨーロッパ史における戦争』マイケル・ハワード氏(1976、文庫は2010)

ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫)

 ハワード氏は戦争史の研究家、中世から第二次世界大戦に至るまでのヨーロッパで起こった戦争を、テクニックだけではなく、社会・経済・技術等の発展との相関関係においても概観。(原書は1976年、改訂版文庫は2010)

ヨーロッパの戦争の歴史

 

ハワードによれば、騎士と傭兵を中心とする中世封建社会の戦争は比較的その地方かぎりの現象であった。しかしながら主権国家の発展に伴い、戦争は商人のもの、次いで職業軍人のものへと変貌を遂げると共に、その範囲も大きく拡大することになる。また、1789年のフランス革命は戦争を文字通り革命的な現象に変化させ、その後のナショナリズムの高揚は、戦争をあらゆる国民の目標にまで高める結果を招いたのである。その後は技術が戦争を主導し、核の時代へと突入することになる。(286ページ津朋之氏の解説)

ヨーロッパの行きついた先

過去半世紀の間、ヨーロッパ諸国は互いに戦争しあうこともなかったし、今後もその可能性はありそうもない。…第1に自己充足的国際体制としてのヨーロッパは、1945年以後存在しなくなった。…ヨーロッパにおける戦争は、地球的規模の衝突の内部のおける局地的紛争ということになり、また、その文脈においてのみ考慮されることになったのである。(218ページ)

ヨーロッパの将来

ヨーロッパ人はもはや自分たちの戦争を引き起こしたり、それを世界に広めたりするようなことはないかもしれないが、全地球的体制における広範囲な紛争に対して、国境を閉ざすようなことはできない。ヨーロッパ人は、そこから離れようにも離れることなどできない、(ヨーロッパは)その体制の一部だからである。(235ページ)

平和とは戦争より難解な存在

ハワードの確信は、平和とは秩序に他ならず、平和(=秩序)は戦争によってもたらせるというものであり、そして平和とは、創りだされたものなのである。その意味において、戦争の歴史は人類の歴史と共に始まったものであるが、平和とは比較的新しい社会現象と言える。ここに、社会現象、そして社会制度としての戦争と平和というハワードの歴史観、そして平和感が見て取れる。平和が人類の創造物であるとすれば、当然、それは人工的かつ複雑、極めて脆弱なものであり、いかにこれを維持すべきかが問題となる。(281ページ石津朋之氏の解説)

ヨーロッパの戦争史観

 

ハワードはロンドン大学で戦争学部(!)の創設にかかわり、クラウゼヴィッツの思想を受け継ぐ戦争史家である。彼の表現に従えば、戦争とは平和のための秩序を構築するためのものである。ヨーロッパは第二次世界大戦後アメリカの核の下に入り少なくともヨーロッパ大陸は戦争から遠ざかっている。本書の巻末においてヨーロッパは今後戦争とは無縁ではいられないと主張する。第二次世界大戦後の秩序に変更が必要となれば、戦争が勃発することなる。ヨーロッパ人はこのように歴史を観ている。

翻って中東を含むアジアでは第二次世界大戦後50年、戦争は途切れなく発生している。ハワードによれば戦争とは「新たな秩序=平和を構築するための手段」となるのであろう。アジアで起こってきた戦争は秩序の維持が目的だったのか、新たな秩序の構築が目的であったのであろうか?

蛇足

 

 

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