毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

コロンブスが新大陸を発見する航海は何カ月かかったか知っていますか?~『START INNOVATION ! with this visual toolkit.〔スタート・イノベーション! 〕』 H・F・ウルファン氏(2015)

START INNOVATION ! with this visual toolkit.〔スタート・イノベーション! 〕―ビジネスイノベーションをはじめるための 実践ビジュアルガイド&思考ツールキット

 H・F・ウルファンは、スタートアップのコンサルタント、どうやってイノベーションを起こすのか!?偉大な探検家たちの成功体験になぞらえた、イノベーションの現実的な実践プロセスを徹底レクチャー!(2015)

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冒頭にコロンブス、マゼラン、ヒラリー、ニール・アームストロングまで探検家が紹介される。

コロンブス(1451-1506)

コロンブスは優れた航海士だった。しかし残念なことに、アジアまでの距離を測り間違えていた。コロンブスの計算では、ヨーロッパの西端であるカナリア諸島から日本までの距離は約3000イタリアマイル(3700キロメートル)だったが、実際には1万9600キロメートルもあった。1492年8月3日、コロンブスは、スペインのパロス・デ・ラ・フロンテーラを出航した。船団は「ニャーニャ」「ピンタ」「サンタ・マリア」の3隻構成で、1年分の食糧が積み込んであった。

目的地は船員には秘密にしていた

出航から数週間がたち、地図の外へ出てしばらくすると、2度と故郷に帰れないのではと恐ろしくなった船員たちが、パニックを起こし始めた。コロンブスが「インド諸島(と思う場所)」へ上陸したのは、騒動からわずか数日後のことだった。

コロンブスのスポンサー

航海に成功すれば大きな利益があがる。その見立ては、強い動機になった。コロンブスの航海は、探検旅行でなく投資だったのだ。コロンブスは(スペイン)王室と契約を結び、成功すれば、発見したものから利益の分け前をもらう確約を得ていた。

オスマン帝国の存在

当時は、アジアへの陸路は遮断されていた。東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルを落したオスマン帝国軍が、あいだに居座っていたからだ。アジアとの交易で富を得たければ、新しいルートを見つけるしかなかった。

 

キャラベル船という新技術

当時は新しい航海技術が編み出され、大西洋の海流に関する知識も深まっていた。キャラベル船という、風を捉えやすく、操舵性が向上した帆船も登場していた。

探検というより投資

 

コロンブスの目的は西廻りで東インドに至る航路を確保し、アジアとの香辛料貿易を確立することであった。結果として香辛料の代りに新大陸アメリカを発見することになる。彼のスポンサーはスペイン王室。スペインにとってポルトガルオスマン帝国との対向上、アジア貿易に乗り出すには西廻り航路が不可欠だった。

コロンブスがサン・サルバドル島を発見したのは10月11日、出航から100日目であった。1年分の食糧を積み込んでいても、地図の無い海を100日することの恐怖は高かったことは理解できる。一方、僅か100日たらずで到達したとも言える。これは三本マストのキャラベル船という最新鋭の船であったことも影響している。アメリカ大陸発見は自己の思考の限界との挑戦だったことがよくわかる。

f:id:kocho-3:20150727074248p:plainクリストファー・コロンブス - Wikipedia

どうしてコロンブスは新大陸を発見できたか?突き詰めると、「東アジア航路とアジアとの香辛料貿易を確保したい」という大きな野望に働きかけたからだと思う。だからこそスペイン王室はスポンサーとなり、3隻の船と100名の船団を仕立てることができた。大きく仕掛けたからこそ、西廻り航路(だと思ったもの)と新大陸の二つを発見できた。

蛇足

 

新大陸発見まで100日、

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