毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

幼少の記憶が権威を受け入れる原点~『権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 』なだ いなだ (1974)

権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36)

 なだ いなだ(1929-2013)は作家、精神科医として活躍。人間の在るところいつもつきまとい、われわれの生活を根元から規定している権威と権力。著者は、日常身近な諸事象の分析からその正体をつきとめ、自律的人間の条件とは何かを問おうとする。 (1974)

 
人間は、生まれた時から、完成した一人の大人じゃない。

 

僕たちは、人間関係を考える時、とかく対等な人間関係を出発点に置きたがるけれど、実際はそうではない。つまり、依存的な人間関係が出発点にあって、その影が次第に薄れて行くことで、次第に対等な人間関係に近づくのだ。

人間は、出発点で、絶対的に依存している。そして、依存している人間のいうことをきかねばならない。そうしなければ生きられない。そうした人間にさからっても、それはだだをこねているだけだ。(69ページ)

お前は、親のいうことをきけないのか?

 

(「お前は、おれのいうことを聞けないのか?」ではなく、「親の」、)という時、権威は一歩後退しているだけだ。どうしても、依存しいているのさえない人間としてではなくて、親子という人間関係を相手に認識させれば、昔のように子供に、いうことをきかせられなくなった親の弱さが、そこにさらけ出されている。

子供が親に依存しないでも生きられるようになればなるほど、親子は対等な人間関係に近づく。そして、対等な人間に、いうことをきかせようとするためには、力にたよるようになる。権力的な人間関係に進む。(71ページ)

どうして子供は沢山質問をするか?

 

 

子供は、大人をとおして世界にふれている。見方、きき方、行き方を、大人から教わる。・・・大人に従うことで危険から身を守ることができる。つまり、いうことをきくので、安心できる。(77ページ)

 

なだ氏は質問する理由を不安であると説明する。自分で知るだけでは不十分で、親にきくことで安心を得ているのである。

権威と権力

 

 

権威には自己の不安によって生じ、権力は外部からの強制力によって生じる。誰でも必ず子供時代をすごしている。誰でもが自分の不安を打ち消すために権威のある存在を求める。「安心感を自分に与えるものとして権威者が、安心感を求めるものの心の中に作られた」(80ページ)

 

あらゆる権利が親子関係の相似形として表れるか、表そうとされる。国家、学校、会社、権威を伴うあらゆる組織が親子関係を模している。我々は幼少の記憶によって権威を受け入れ、不安の代りに安心を手に入れようとしているのである。国家、会社などが突然消滅するとき、我々はパニックになる。それは親の姿を見失って泣く迷子の子供と重なってみえる。

最高の権威者が神である。神の存在は人の心の不安によって成立しているのである。我々は誰かから安心を貰いたいのである。神の存在を否定することはできない、それは人の心から不安がなくなることが無いからである。

蛇足

 

権威を意識したとき、何の不安を感じるのか観察してみる

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