毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

人口知能が代わりに何でもやってくれる時、我々は自らが何をしていたいか?~新井紀子氏「ロボットは東大の入れるか?」

ロボットは東大に入れるか (よりみちパン! セ) (よりみちパン!セ)

新井氏は数学論理学の研究家。「24時間、疲レマセン。フヘイフマンモ言ワナイシ、大シタコストモカカリマセン。」みんながわかる、人工知能の最前線!今後、「人間」に残される領域とはなのか?2014年刊

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 どうして「東大にロボット(コンピュータ)が入れるか」を考えるのか?

 

 

人口知能の技術の進歩によって「人間」の未来がどうなっていくのか。つまり、人間の人間たるところはいったいなんなのか。そのことを知りたくて、「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクトを立ち上げたというわけなのです。・・・つまり10年後とか20年後に、いったいどの仕事が人間に残るのか、ということをどうしても知りたかったからです。103ページ)

 

 
機械が労働市場に参入する

 

 

 

(機械と一緒に)仕事をしている人たちは、機械には代替できないような能力で勝負しなければなりません。その能力が、高度に人間らしい能力で、しかも誰もが身につけられるわけではないものならば、今まで以上に高収入を得られることでしょう。一方、それが「イラストを判別する」というような、人間ならば誰でもができるものならば、それは単価の安い仕事にならざるを得ません。(103ページ)

 

 

大学入試は本当に知性を測定できているのか?

 

2013年の時点の偏差値は48、東大には入れない(が入れる大学もまた沢山ある)。このプロジェクトは2021年まで続けるという。私はコンピュータが2021年までに東大合格に必要な偏差値を達成すると思う。

コンピュータ=計算の本質は「①有限の知識、②特定の条件の下における特定の手続き、③同様に繰り返す」(57ページ)。使う要素技術は自然言語処理(普段使っている言葉をコンピュータに理解させる事)と統計処理。今後アルゴリズムがこの二つを向上させ、得点力が上がる事は容易に想像できる。

択一式では限界があり、論文形式ならいいか?米国では入試に小論文が必須だが今やコンピュータが採点しているという。逆に言えばコンピュータを使えば小論文のスコアを測定でき、測定できる事は改善できる事になる。

大学入試がコンピュータに計算できる事を試しているのだとすれば何か意味があるのであろうか?

大学は必要な物か?

 

コンピュータが対応できる入試、更に言えば大学が教える学問、実はそれらは既に答がありコンピュータに任せた方が早く正解が出るという事。

 

「学校の勉強のうち大半は、本当は機械に置き換えることができるんだけど、いままでそういう機械がなかったから我慢してやっていたんだな」(246ページ)

 

コンピュータにできない単純作業

 

新井氏はアマゾンを例に出す。アマゾンのビジネスにおいて人の手に頼っている所、それは倉庫で商品をピックアップする作業、そして画像にタグ付けする様な作業。なぜなら人間がやった方がコンピュータよりコストが安いから。作業者に熟練は求められない。人間に残された仕事がこれだけであれば高等教育はもはや必要なくなる。

本書の延長線上に人はどうやって生きるかという点に帰着する。

蛇足

 人間の仕事は、「何をして暮らしていくか、」を考える事。

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