毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

プラモデルを最後に作ったのはいつですか?~プラモデルの歴史はざっくり50年

日本プラモデル興亡史―子供たちの昭和史 (文春文庫)

著者の故井田博氏は模型店を経営1941年日本初のプラモデル専門誌『モデルアート』を創刊した。

 

1958年日本初のプラモデルが発売

マルサンは戦後まもなく設立、ブリキ玩具を主に米国に輸出していた。1958年、クリスマス商戦に間に合う形でマルサンはプラモデルを発売した。原子力潜水艦ノーチラス、ダットサン魚雷艇ケネディボーイングB-47の4種類であった。プラモデルという言葉を作ったのもマルサンだった。米国ではプラスチックモデルとかオーセンティック・キットと言われていた。

1963年タミヤのリモコン戦車が模型屋を変えた

プラモデル画期的だったのは、それまでの木製商品などに比べると、商品の質が均一化し、また商品そのものも安定供給されるようになったということです。・・・小売店は「欲しい商品」を「欲しい時期」に「欲しい量」手にすることができるようになったのです。これはプラモデルがもたらした「革命」といってもいい事件でした。・・・タミヤの1/21M-4シャーマンの発売でした。・・・最初はリモートコントロール版でモーター、電池別で1300円。これは高額商品にも関わらず、爆発的に売れました。このキットを見たとき、私はついにプラモデルが模型屋の主力商品になる時代がやって来たと感じたのです。

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http://www2u.biglobe.ne.jp/~tamiya/zeppan/21m4/index.htm

木製模型とプラモデル

それまでの木製模型、ソリッドモデルというのは、飛行機ならおおまかに胴体や翼の部材が切ってあって、それを自分で削ったり、彫ったりしながら作っていく。大変な作業で、どうでしょう、買った人の半分くらいしか完成できなかったのではないですかね。・・・プラモデルは高踏的な「模型」を大衆化したと言えるのではないでしょうか。・・・プラモデルはマス・プロダクツということで、昭和30年代から始まる高度消費社会というものに、見事にマッチしましたね。(232ページ)

日本のプラモデルの独自性

欧州ではプラモデルは貴族的な模型として始まった。米国は誰でもが組み立てできるフルプルーフ商品にした。日本はそれにモーターライズと精巧な金型でディテールの追求、そしてキャラクター物へジャンルを拡大した。日本は確実にプラモデルの世界を広げた。プラモデルが木製模型にとってかわり市場を拡大した。プラモデルの次に来たものは何だったのだろうか?広義に考えれば自己表現のメディアとして次を担っているものは何であろうか?50年の間にメディアは変わっても、自己表現の欲求は変わらない。本書が出版された2003年、プラモデルの市場規模は約400億円、その後2012年には260億円にまで減少している。プラモデルが担っていた自己表現の次のメディアは何であろうか?

蛇足

模型屋にいってみよう。