毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

不老不死の仙薬と錬金術、現代の分子生物学と量子物理学~そこに共通するもの

錬金術 (中公文庫)

故 吉田 光邦氏は科学技術史の研究家。本書は1963年刊行を文庫化したもの。

「東西の錬金術の諸相を紹介し、そこに見出される魔術的思考と近代科学精神の萌芽を検討する。」

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P88ページ唐の皇帝が愛用した丹薬には水銀、砒素、、、

 

唐の時代、水銀、砒素を含む不老不死の丹薬を求められる

中国で錬金、錬丹の術がもっと流行したのは唐代―中国文化のシンボルともいわれている唐代なのである。・・・唐の皇帝は武后を含めて22人、そのうち7人が不老延年のために仁薬を愛用し、一人のみが天寿を保ち、他の6人はみな中毒死したという惨憺たる有り様であった。・・・すべて権力者、専制者は過去を持たない。彼らは現在と未来を持つのみだ。現在をたえず未来世界へ延長し、拡張していくこと、それが権力者の心理であり、権力者たるべき心理なのだ。・・・過去においてはたしかに丹薬は害はあった。しかし自分だけは誤りを起こすはずがない。・・・この徹底した選民意識、徹底した自分への無謬性への確信が、ついに彼らを有毒な丹薬による死へと追いやった。

錬丹術師は火薬を発明したが歴史に埋没

錬丹術師の手のなかにあった火薬が、彼らの手を離れて軍事技術者の手に移ったのは、唐の末から宋代になってだった。丹が実用的な医術の中に取り入れられ、錬丹術が凋落したのと同じ時期に、火薬もまた実用技術のものとなったのである。(123ページ)

西洋の錬金術のスタートはアリストテレス的価値観

人間は、精神的な質料と物質的な形相からなっている。質料を分析し、更に分析してゆけば、ついには究極の物質に到達するだろう。とすると究極の物質は無限の形相をとる可能性をもつから、どんな形相のものもできるわけだ。金でも銀でも、好みのものに変化させることができる。(135ページ)

西洋が求めたのは金

15世紀初めのヘンリー四世は、国債償還にあてるために貴族、医師、学者たちに錬金術の実験を命じ、のちには僧侶にも研究を命じている。15世紀後半のドイツのフリードリッヒ三世は、王位を子供にゆずったあとは占星術錬金術、植物学の研究に従事したという。当時はどこの王室も財政が逼迫していた。(186ページ)・・・西洋では、現実の金を手中にする為には無謀とさえ見える海上の航海、砂漠の旅行、征服に出発すると同じエネルギーが、黄金の創造の為にも捧げられたのである。(260ページ)

f:id:kocho-3:20140814080015p:plain錬金術師ブリューゲル1588年頃

中国と西洋の違いは何か?

中国での錬金と錬丹の術は、どこまでも不変なるもの、あるいは変化の能力をもつものを求めることにあった。これに対し西方側ではどこまでも現実の金と銀を求めた。一方は抽象的な性格づけと巾の拾い解釈を許す術であった。他方はテストによってすぐ真の金か銀かが判断されて結果はわかってしまい、観念的な解釈はすこしも許されない。この目的意識の差、それが中国の錬丹術が魔術的なものとしてついには消え去り、西方では新しい科学の実験精神への緒となったという重大な差を生んだ。(214ページ)

 

錬丹術、あるいは錬金術、どちらも人々が執念を持って追い求めてきたもの。錬丹術、あるいは唐時代の皇帝の姿に、我々に「足るを知る」事の真逆を見る。そして錬金術は科学技術の出発点であり、同じゴールでもあった。今でも比喩的に使われる錬金術が実は本質的に同じ構造を持っている事を知る。

蛇足

過去の錬丹術と錬金術、現代の分子生物学と量子物理学を比較してみる。