毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

猫の原産地がどこか知っていますか?~『「地形」で読み解く世界史の謎』武光 誠氏(2015)

「地形」で読み解く世界史の謎 (PHP文庫)

武光氏は日本古代史の研究家、すべての民族がこれまで、系統の異なる文化と自己の持つ文化との交流を通じて自国の文化を発展させてきた。(2015)

リビア

私たちになじみ深い猫は、もとはアフリカ北部からアラビア半島にかけて広がる乾燥地で生活するリビア猫と野性猫であったといわれる。

このリビア猫がはるか昔、紀元前3000年頃にエジプトで飼い馴らされて、愛玩動物(ペット)になっていった。最初はネズミの害を防ぐための家畜であったが、やがてその愛らしい姿が好まれて飼い主の身近におかれるようになった。

猫はそれから人間の手で世界中に広められた。・・・日本の猫は平安時代に中国人の承認の船に乗って来た。このあと平安貴族は競うようにして猫を求め、自分の飼い猫を自慢しあったという。(4ページ)

 

11世紀という分岐点

総合的にみれば北宋の時代(960-1127)までは東の文化が西の文化より優れていたと筆者は考えている。このあたりまで中国は、おおむね西の世界よる豊かだったのである。(130ページ)

国の工芸技術が、西方のそれよりはるかに進んでいた。そのためオアシスの道の交易は、「主に中国の絹と西方の金、銀とを取引するものであった」と評価するのが、よい。そこにはシルクロードと呼ぶに相応しい道であった。(61ページ)

北宋の滅亡後に中国民族は、金ついでモンゴル(元)の北方の異民族に苦しめられた。そのためゆとりを失った中国の知識層の文化水準が、じわじわと低下していくことになった。(131ページ)

西ヨーロッパ

(三圃農業や鉄製の農具の普及によって生産力の増加した西ヨーロッパの)有力者が東方の贅沢品を求めたために、アラブ世界と西ヨーロッパとの交易が少しづつ増えていった。この動きの中で、12世紀からカトリック教団が次第にアリストテレスなどのアラブ世界の有益な科学を受け入れるようになっていった。(221ページ)

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すべての文化は異文化を取り込んでいる

 

我々の生活を見てみよう。お米はインドのアッサム地方が原産である。漢字は中国で生まれた。ゼロを含む数字は古代インドで作られた。

現在日本は基本的に西洋社会の価値観に基づく世界に属すると言える。その西洋社会は11世紀まではむしろ森に覆われた後進地域であった。そのヨーロッパはイスラム世界がギリシャ、中国、インドから取り込み咀嚼した文化を受け継いでいる。後発故のメリットを活かしたと言える。

今や猫は世界中にいる。猫の原産にこだわることに今意味があるであろうか?我々に求められているのは、人類の過去の蓄積に学び、合理的に「新しい何か」を付け加えようとする態度である。

蛇足

 

猫は世界を旅してきた。

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