毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

日英同盟とは何であったか?

 日英同盟とは日本とイギリスとの間の軍事同盟、第一次日英同盟は、1902(明治35)年1月30日に調印され即時に発効した。その後、第二次1905年、第三次1911年と継続更新され、1923年に失効した。第一次世界大戦までの間、日本の外交政策の基盤となった。(Wiki)

これまでの百年 これからの百年【増補改訂版】

長谷川氏は1927年生まれのアナリスト、軍事問題に造詣が深い。本書は1996年の2013年増補改訂版。

 日英同盟による英国の要請

第一次世界大戦当時、イギリスは志願兵制を採っていたために、規模の小さな陸軍をフランスの戦場に送りこまなければならなかった。相次ぐ新兵器の導入、それによる損害の多発によって、その志願制度を維持することが次第に困難になるという厳しい兵員不足に直面した。当時(1916年)のイギリスは必死になって兵員の補充源を同盟国に求めた。(中略)日露戦争に勝った日本陸軍は、当時アメリカ陸軍と並んで、世界の大国の中で唯一手つかずの大規模な、しかも訓練の行き届いた優秀な兵力を保有していると見なされていた。

海軍は参戦するも陸軍は参戦せず

日本海軍は船団護衛の為に艦隊を地中海まで派遣、一方陸軍は「食生活のちがうヨーロッパに陸軍部隊を送ることはできない」(33ページ)という理由で拒否をした。長谷川氏のフレームワークで言えば陸軍は日露戦争後「国際社会の一員たる地位を自ら拒否し、日本独特の発想、独自の思想に基づく、いうならば民族主義を鼓吹」したことが背景にあった事になる。」(130ページ)となろう。

日英同盟の破棄

こうして醸成された対日不信が、第一次世界対戦後のイギリスに、期限満了とともに「日英同盟破棄」の方向に決断させる最大の要因となったには疑いの余地がない。(219ページ)

歴史の記憶

私はこの本で初めて日英同盟の破棄の背景を知った。これが全てだとは思う必要はないが、氏の言うとおり英国から見た日本観の大きな要因の一つであり、今もその延長戦上に有ると認識する事が必要だと思う。