毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

シェイクスピアは英語辞書を使えたか?~英語最大の辞書、OxfordEnglishDictronaryの歴史からわかるオープンソースの構造

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)

『オックスフォード英語大辞典』(OED)の初代編集長マレー博士には日々手紙で用例を送ってくる謎の協力者がいた。

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1857年晩餐会で編纂が宣言されるも、大事業故に20年間中断。

英語圏における辞書という単語の誕生

1583年には、一連の羅英辞典の最初の版がロンドンで出版された。トマス・エリオットによるアルファベット順の単語集であり、これは英語の「dictionary(辞典)」という語を書名に使った最初の書物となった。(127ページ)

シェイクスピア(1564-1616)は辞書を使っていなかった

辞典を手にするという行為さえ、シェイクスピアにはできなかった。つまり、よく使われる言い方をすれば、「何かを引いて調べる」ことができなかったのだ。まさにこの言い回しが、「辞書や百科事典などの参考書で何かを調べる」という意味で使われることは、文字通り存在しなかった。実際のところ、「この言い方が英語で使われるようになったのは1692年のことであり、オックスフォードの歴史学者アンソニー・ウッドが使ったのが最初だった。(123ページ)

オックスフォード英語辞典:Oxford English Dictionary~OED

1857年に編纂が宣言、1884年未製本の分冊版が発行され始め、1895年に合冊版完成。

(OEDの編纂を企画した言語協会のトレンチ博士は、)英語が世界中に絶え間なく普及していくかに見える当時の状況の背景に、ある種の神の定めがあるということだった。神―ロンドンのこの階級の人々には、当然ながらイギリス人であると固く信じられていた-は、英語の普及を大英帝国の支配に不可欠な手段として認めていたのはもちろんだが、そこから論議の余地のない必然的な結果が生じることも認めていた。つまり、キリスト教が世界中に発展していくことである。英語が普及すればキリスト教も広まるという考え方は、極めて単純であり、全世界のためになると信じて疑われない信条だった。世界に英語が普及すれば、人々はそれだけ神を崇拝るうようになるというのだ。(121ページ)

「すべての言語を収録することを目標としたのである。つまり、あらゆる言葉、あらゆるニュアンス、意味や綴りや発音のあらゆる微妙な相違、語源のあらゆる変化を明らかにし、あらゆる英語文献から可能な限りの用例を引く事を目指したのだ。(154ページ)

f:id:kocho-3:20140708072745p:plainDictionary Editors | Oxford English Dictionary

編纂のドラマ~博士と狂人

貧しい家に生まれ、14歳で学校を出た後は独学で数多くの言葉と教養を身につけ、ついにはOEDの編纂主幹として歴史に名を残すに至ったジェームズマーレー(1837-1915)。

アメリカの名家の血をひき、陸軍の軍医大尉にまで上りつつも精神を失調させた末にロンドンで殺人事件を犯してしまい、その後精神病院に終身監禁されることになったウィリアム・チェスター・マイナー(1834-1920)。(解説357ページ。)

 

この二人にとってはOEDが編纂されることになった意図とは別にそれぞれの人としての希望をそこに見いだしていた。前代未聞の辞典を編集する事になったマーレーは「英語を話し、読む人々にとって」という「キャッチコピー」で多数の篤志文献閲覧者を募って単語を引用する事をスタートさせる。一方のマイナーは精神病院に収監され自分の有り余るほどの時間を何らかの役に立ちたいと考えていた。この二人が出会い、そしてOEDの編纂に結実していく。

OEDの編纂意図は明確である、そこに関わった多くの人間、編集主幹、マイナーなどの篤志文献閲覧者にとっての意図と喜びは別にあった。OED編纂はオープンソースの先駆けである事に気付く。オープンソースはその志の高さと参加者の個別の喜びによりドライブされる。

蛇足

日本現存最古の辞典は、830年頃空海によって編纂された『篆隷万象名義』。