毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

現代アートの構造、物質価値の喪失はいつから始まったか?

 

現代アートとは?

芸術史的特徴を見ると、「近世美術」と「近代美術」の一部は教会や王侯貴族が美術の担い手だった時代の美術、「現代美術」は富裕層が美術の担い手になっている時代の美術という傾向も見出せる.(Wiki)

現代アート、超入門! (集英社新書 484F)

藤田氏はアートライター、アートエッセイスト。

たとえば1917年に発表されたデュシャンの泉。この作品は工業製品である便器がそのままアートとして出品されたものだ。仲間のアーティスト達にも「はたしてこれはアートか?」と理解されなかった作品が、なぜ今現代アートを代表する作品と言われるのか?(カバー袖より)

デュシャンの泉の構造

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藤田氏は以下の様にまとめる。

「なぜ、きれいに描かねばならないのだ?」「なぜ自分が描かねばならないのだ。」「なぜ、人間が作らねばならないのだ?」あらゆる角度から疑いを抱き、ついにデュシャンは便器という汚くて、自分が作ったものでも、人間が作ったものでもないものに行き着き、これをあえて「アート」として提示することによって、見る者に価値観の根本的な問い直し、転換を迫ったのである。(中略)この「泉」のような「考え方」を問うアートのことを「コンセプチュあるアート(概念のアート)といっている。また、便器のように、すでにあるものを利用した手法は「レディメイド」と呼ばれている。そして「泉」は、コンセプチュアルアートとレディメイド双方の起源としてアートの歴史の金字塔となっている。(88ページ)

物質価値の喪失はいつから始まったか?

デュシャンは通常考えるアート、「美しく、技法に富んでおり、希少性がある」の逆さまの価値観=情報的な価値を提示した。私は様々なものが物質的での価値が低下し、情報的価値が拡大している時代と考える。情報的価値はブランドとかストーリーと言い換えてみてもいい。アートはそのオリジナリティ=物質的価値にこそ価値があると思っていたが、これを1917年、ほぼ一世紀前に既に否定されるコンセプトがあった事に驚く。

現在のアートの方向性

藤田氏は現代アートの水脈は「ますます多様で多彩に繰り広げられる」、「長らく欧米を中心に発展してきた現代アートの勢力分布がワールドワイドに広がる」(184ページ)だと論じている。