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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

人は自分で自分のやりたい事を決めなければならない~『階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現』チャールズ・マーレー氏(2012)

階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現

 マレー氏は米国のリバタリアンの立場に立つ政治学の研究者。

経済力だけでなく、倫理観、価値観においても圧倒的な「階級格差」が生まれてしまったアメリカの現状を、リバタリアンの論客が詳細に分析した一冊。「新上流」(約240万人)、「新下流」(全人口の2割以上)、という二つの階級の断絶が社会を崩壊させると警鐘をならす。福祉の充実ではなく、かつてのアメリカ人が持っていた価値観の再建こそが重要と主張する。(2012)

 

 

アメリカン・プロジェクト

建国と同時に始まった持続的努力、すなわち、「人間は個人として、家族として、自らにふさわしいと思う人生を生きる自由を維持したままであっても、お互いに力を合わせて社会問題を解決することができる」と実証する努力のことである。(29ページ)

人間のニーズは他者には満たせない

進んだ社会では食と住はさまざまな方法で満たされうるので、人間のニーズはもはや分解できなくなる。食と住を獲得する手段が、人間のそれ以外のニーズが満たされるかどうかにも関係するからである。(407ページ)

自尊心、親しい関係、自己実現

人は自尊心を求めるが、自尊心は自力で獲得しなければならない。そうでなければ自尊心にはなりえない。そして、自力で何かを獲得するには、失敗する可能性がある中で何かを達成すること以外に方法はない。人は他者との親しい関係を求めるが、豊かで充実した人間関係は何らかの満足を必要とし、そのような満足は、何らかの結果を伴う交流にかかわったときに初めて得られるものである。人は自己実現を求めるが、自己実現とは、見通しのいい直線道路をA地点からB地点まで走るようなものではない。それは本質的に、見通しの利かない悪路を進みながら人生の可能性を探求してこそ得られるものである。人生におけるこれらの尊いもの―自尊心、親しい関係、自己実現―はすべて自由を必要とする。しかもそれは意味のある自由、すなわち人生のあらゆる葛藤の舞台で自ら行動し、その行動の結果に責任を持つという意味の自由でなければならない。・・・自分には結果に対する責任があると知ってこそ、人生は生きるに値するものになる。(407ページ)

最低所得保障制度

私は2006年に刊行されら『わたしたちの手に』のなかで、政府はすべての所得移転をやめ、その財源を21歳以上の全アメリカ人に基本所得として分配したらどうかと提案した。そのさいに、2011年には政府の(貧困層への)所得移転政策のコストが、私が提案する最低所得保障案のコストを追い抜くだろうと書いたが、実際そのとおりになった。・・・豊かな国の場合は、福祉国家のシステムを使わなくても先進福祉国家の最大の目標―基本的ニーズを満たすための経済的手段を人々に提供する―を達成できる(437ページ)

階級「断絶」社会アメリカ

マーレー氏はリバタリアンとして知られる人物。彼は人生の本当の価値は政府によっては与えられない、と説く。自ら失敗する危険を冒して達成するからこそ獲得できると指摘する。

具体的な政策として最低所得保障制度を掲げる。福祉は貧困層が自尊人と引き換えに受け取るものではなく、国民全員が権利として誇りをもって享受することが良いのであると考える。それでは国民その自由で何をするのか?「人には自分にふさわしいと思う人生を生きる自由があり、同時に自分の結果には権利と責任の両方がある」という考え方があってこそ最低保証制度は意味を成す。この点で単なる新自由主義とは意見が違う。

リバタリアンは、人はどんな状況でも価値のある何かをしたくなる、という性善説に立脚している。

蛇足

自尊人は自分の手で獲得する

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