毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

民主主義の本質は多数決ではなかった~『社会という荒野を生きる』宮台真司氏(2015)

社会という荒野を生きる。

 宮台氏は社会学の研究家、「いま僕たちはどんな時代を生きているのか」「この不透明な時代に何を捨て、何を守るべきなのか」(2015)

民主主義の本質は自治

アメリカなら、元々は信仰共同体である州が集まって連邦を作る。ヨーロッパなら、自治都市や領邦が集まって国を作る。まずは顔が見える我々ができることは我々がやり、それが不可能な場合には上層の行政ユニットを順次呼び出していく、というやり方です。…規模に対応して結合体の結合を構成するべく、間接民主制(代議制)が導入されていますが、どちらの場合にも共通して、下から上へという方向性にみられるように「民主主義とは多数決でなく自治だ」という原則が貫徹しています。自治とは、規模に対応する便宜として代議制を導入するものの、代議士には任せないということです。(64ページ)

民主主義のもう一つの本質は熟考

自治と並ぶ民主主義の本質は、熟考です。単なる話し合いということではない。話し合いを通じて、知らなかった事実に気づき、価値が変容するということです。そうした気づきと変容を通じて、新しい「我々」が再構成されるということも、含んでいるのです。熟考を通じて絶えず再構成される共同体を、19世紀前半に「アメリカの民主主義」を著したアレクシ・ド・トクヴィル(1805~1859、フランスの政治思想家)は伝統的な共同体と区別してアソシエーション(結社、団体)と呼び、あるべき国家を複数のアソシエーションの共和的結合として描きました。(64ページ)

 

トクヴィルの語るデモクラシー『トクヴィルが見たアメリカ』より

われわれの祖先は州の前にタウンを創設した。プリマス、セーレム、チャールズタウンは、マサチューセッツ州政府が存在するといえる以前から存在した。それらは後になって、慎重な選択によってようやく結合するにいたった。(140ページ)

民主政治は国民にもっとも有能な政府を提供するものではない。…だかそれ(民主政治)は、もっとも有能な政府がしばしば作り出しえぬものをもたらす。社会全体に倦むことのない活動力、溢れるばかえりの力、民主政治を抜きにしては決して存在しないようなエネルギーを行き渡らせるのである。(157ページ)

民主主義は自治と熟考

 

トクヴィル1831年9か月にわたり当時新興の民主主義国家であったアメリカ合衆国を旅して『アメリカの民主政治』を書いた。トクヴィルは「アメリカの地に降り立つやいなや、ある種の喧騒に巻き込まれる。」(156ページ)と表現した。人々が集団を作り議論し、自分たちで決めていく姿があった。これをアソシエーションと呼んだ。王政の存在しないアメリカで生まれた民主主義の原型である。

宮台氏は民主主義のルールに自治と熟考を掲げた。政治思想の歴史からは民主主義の基本は多数決ではないと言う。そして西欧に民主主義のルーツにトクヴィルを引用する。

どうして我々は民主主義は多数決だ、と考えるのであろうか?

 

蛇足

 

 

民主主義とは熟考を通じ、知らなかった事実に気づき、自らの価値の変容を促され、それを決定に繋げること

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