毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々は普遍的なものを目指せるし、理解できる~『ユダヤ人と近代美術』 圀府寺司氏(2016)

ユダヤ人と近代美術 (光文社新書)

 圀府寺氏は西洋美術史の研究家。

あなたはいかなる像も造ってはならない(「出エジプト記」:4-5)――。

ユダヤ教では偶像崇拝が厳しく禁じられていた。

しかし、啓蒙主義思想が浸透しはじめた19世紀以降、ユダヤ人の画家や彫刻家は一気に増えていく。(2016)

 

教養への執着

ユダヤ人の解放を実現したのはその財力ではない。・・・状況を大きく変えたのはやはり啓蒙主義思想であり、・・・(教養の)理想はあらゆる人間に内在する「人間性」を教育と自己啓発によって引き出し、実現することによって達成できると考えられた。・・・「教養」は個人主義的であると同時に、普遍性思考であり、ある種のコスモポリタン世界市民)的な理想だからである。高貴な血統に代わるべき新しい高潔さの価値観としての「教養」、この個人主義的で、かつ普遍的な理想にユダヤ人の知識人、ユダヤ中産階級は飛びついた。この「教養」によって「世界市民」となり、確固たる「市民権」を獲得できると思えたのである。(40ページ)

ユダヤ人論

サルトルユダヤ人論を引用し)『ユダヤ人は人間に関するあらゆる知識をかき集め、全世界に対する人間的視点を獲得することによって、<人間>に、純粋な人間、普遍的な人間になろうと考えているからである。ユダヤ人が教養を身につけるのは、みずからのうちなるユダヤ人を破壊するためなのである』(314ページ)

まぎれもなく自分たちのものといえる土地と文化の中に安住し、その土地で満ち足りている人々と、疎外感の中で普遍的な人間になろうとして「人間に関するあらゆる知識をかき集め、宇宙に対する人間的視点を獲得すること」を切望している人々と、どちらが学者や芸術家に「向いているか」は明らかであろう。ユダヤ人の場合、学者はその知性によって、芸術家は知性と感性によって、疎外感と同時に自身の中のユダヤ人を消そうとし、その過程でユダヤ人であることを露呈しつつ、普遍的、革新的な学問的、芸術的成果を生むことになる。(315ページ)

 

ユダヤ人と近代美術

 

ユダヤ人はナショナリティを持たないが故に教養を高めることによって普遍性を獲得しようとした。教養は学問、芸術、様々なものに向かう。本書では、ベラスケス、ピサロシャガール、ロコス、ニューマンなどを挙げる。彼らに共通するのが、自身の普遍的な根源的感情を表現するために、絵画からユダヤ的なものも含め特定の民族的、宗教的、文化的イメージを排除していったことを知る。

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コレクション - マーク・ロスコの 《シーグラム壁画》 | DIC川村記念美術館

圀府寺氏は「自分たちのものといえる土地と文化の中に安住し、その土地で満ち足りている人々」と「宇宙に対する人間的視点を獲得しようとする人」を対比する。我々はもっと広い世界から、あるいは宇宙に対する視点から、考えることができるである。本書は”ユダヤ人”という単語を使いながら、”すべての人”が普遍的な人間を指向できることに気づかせてくれる。

蛇足

美術史の多くは国家という事実上の作者が紡ぎ出した物語である(306ページ)

 

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