毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

アインシュタインが相対性原理を考えた時の思考法からわかる事~これ以上の抽象的思考はあるか?

新ユダヤ成功の哲学―なぜ彼らは世界の富を動かせるのか

なぜ彼らは世界の富を動かせるのか?「苦境を財産に変える錬金術。」

2007年刊

どうしてユダヤ系は生き残ってきたか?

たとえば全米総人口の2%でしかないユダヤ系が、アメリカのビリオネラの3分の1を占めている。あるいは、フォーブス斜調査の400人の大富豪の中でもユダヤ系が、その上位1割、400名中の45%(つまり18名)にも及び、一流大学の教授陣の20%を占めているなどという事実もある。・・・そんな私たち日本人は、どのようなユダヤ人文化の「成功遺伝子」を参考にし、取り出して、自らを活性化すべきなのであろうか?(はじめに)

選民と懐疑

「あなたは数ある民のうちから我々をお選びになった。ならば、どうして我々をいじめなけりゃならなかったんです?」これは「選民」をめぐるユダヤジョークだが、前半は絶対的な信仰、後半はホロコーストその他の迫害をめぐる絶対的な懐疑の開陳である。肝心なことは懐疑が信仰を否定し去ってはいないことだ。それどころか、信仰と懐疑の間で揺れる只中からシュレミール(道化)が生まれてくるのである。選民思想への信仰(理念)とホロコースト(現実)とは絶対に相容れないくせに、ホロコーストによって信仰が証明される仕組みーユダヤ文化の「成功遺伝子」の中でも最も玄妙なものがここにある。(58ページ)

強い自我と自尊心

相対性原理を想定したときのアインシュタインは「私が神だったら、宇宙をこのように創ったかどうかを自問した」というのが上げられよう。これは途方もなく「強い自我と自尊心」である。(252ページ)

完全な世界から見たらどうあるべきか?

ユダヤ系の文化の中に強烈な選民思想がある。「我々は選ばれたが故に迫害を受ける」この論理を突き詰めた時、「私が神だったら、宇宙をこのように創ったかどうかを自問した」という思考が出てくる。神という言葉を宗教的に捉えるのではなく、抽象的な完全性と捉えればより分かり安い。「完全な世界から見たら世界はどうあるべきか?」と言い換えられるであろう。人は誰でも自分だけは特別だと考える。それが自我であり、ならばその自我を抽象的な思考能力に結びつける事が鍵である。

ユダヤ的表現を昇華させると

神という言葉を完全な世界と言い換えるとエスニックな表現を乗り越えて、人間全体の視点を表現し得る事に気づく。人は誰もが等しく死に向かって生きる生命だと自覚した上で、「私に完全な世界を見つめるとしたら」という視点で思考する事は意味がある。そこにはすべての既存宗教をも内包する世界である。我々は等しく堂々と自問する事が可能である。

蛇足

東洋的な表現では、「無常」という