毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々はもっと自己主張してもいい~『日本人』橘 玲 氏(2014)

 (日本人)

橘氏は作家、「日本人」が考える「日本人」のイメージはすべて間違っている。それはすべて西欧社会が作ったものだからだ。(2014)

 

 

日本は世俗的な社会~世界主要国価値感データブックより

日本人のうち、「権威や権力を尊重するのはよいこと」とこたえたのはわずか3.2%しかおらず、逆に80.3%が「悪いこと」と回答している。日本人は世界のなかでダントツに権威や権力が嫌いな国民だったのだ。(12ページ)

近代日本と世俗的な日本人

日本人は世界の誰よりも、「他人に迎合するよりも、自分らしくありたい」「自分の申請の目標は自分で決めたい」と考えている。こうした特異な価値観を私たちは当たり前のことと思っているが、じつは日本人は歴史の最先端に立っているのかもしれない。

本書の結論

世俗的で反権威主義的で、神も国家も信じていない日本人はむしろ世界でもっともリバタリズムに親和性が高い。そして、リバタリズムこそが、グローバリズムの世界で唯一実践的なユートピアにもっとも近い場所にいるというのが本書の結論だ。(東浩起氏解説445ページ)

我々が住む近代とはどういう社会か?

「近代」は、隠されていた不平等を顕在化させ、それへの絶えざる異議申し立てによって既存の権威を解体していく運動のことだ。かけがいのない<私>を唯一絶対の価値とする後期近代では、この運動は宗教や階級、中間共同体を抜け殻にして、社会を「液状化」させていく。(420ページ)

資本主義は世界を“効率的に”標準化させている

冷戦の終焉でグローバル市場が誕生し、世界の富は確実に大きくなった、・・・先進国の労働者が10%貧しくなり、中国やインドのひとたちが2倍豊かになるのなら、世界全体の幸福の総量は確実に増大する。貨幣空間の拡大(市場原理主義)というのは、世界の歪みを標準化する運動のことだ。(63ページ)

リバタリアン

リバタリズムは「自由原理主義」で、人種や性別、民族や宗教によってひとを差別してはならないが、競争の機会が平等ならば結果が不公平になっても「正義」には反しないと考える。リバタリアンが断固として拒否するのは、富の再分配を理由に、国家が権力を使って市民の私的所有権を侵すことだ。これは政治的には、「小さな政府」を支持する立場になる。(237ページ)

(日本人)

我々は農耕社会の伝統である共同体を尊重することをすり込まれている。現在ではそれ以上に世俗的に自己の利益を追求する。日本人は太平洋戦争で権威を信じたことによって大きな災いを招いた。戦後経済発展の中で、日本社会は不平等が解消されることで権威もまたフラット化していった。

世界には未だ世俗化する自由を持たない地域が沢山ある。宗教の制約が未だ強い地域を指摘するまでもない。我々は、先人たちの犠牲と数々の偶然から、自由に自己を追求する自由を享受できている。

集団主義的なのは世俗的に有利だからでり、世俗的な利益を放棄してまで集団主義的である、とは言えない。

蛇足

我々はもっ

 

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と主張していい

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