読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

何事も解釈はあなたの自由である~『なぜ、これがアートなの?』アメリア・アレナス氏(1998)

映画・芸術

なぜ、これがアートなの?

 アレナス氏はニュヨーク近代美術館の解説員の経験を持つ、それにそもそもアートっていったい何だろう?(1998) 

開かれた作品

一般的な考えに反するかもしれないが、作品の意味は作者の責任外の問題である。さらに、その作品を制作するにあたって影響を与えたと思われる私的、あるいは歴史的事実関係をいくら調べ上げても、それは作品の意味ではない。(作品の意味は)人々が、作品を見るという行為を通じて作品と行うコミュニュケーションによって、作品に付加されるものなのである。

作品は一人歩きする

「アーティストは何をいいたかったのか」というよりは、「この作品は何を意味するのか」というほうがより適切な問いだといえる。作品がどれほど美しかろうか、技術的にいかにすばらしかろうが、あるいはオリジナリティがどれほど備わっていようが、作品にとって重要なのは、作者の意図がいかに表現されているかではなく、結果的にどれほど鑑賞者の意図を引き出せるかということなのである。(41ページ)

どうして絵画に意味を求めるのか?

歴史的にみても多くの画家たちは文字の読めない大勢の人々のために、宗教的な物語や国家的な出来事を絵で「書いて」きたともいえる。だから私たちは視覚芸術に、物語や出来事、あるいは何かの説明や考えなどを読み取ることを期待してしまう。私たちが今使っている文字の多くが、物の形を表す絵文字としてはじまり、後に抽象化されて文字となったことからも、私たちが絵を読もうとする習性が説明できるだろう。(56ページ)

 f:id:kocho-3:20160426074655p:plain

http://www.vangoghmuseum.nl/en/search/collection 

この絵のおもしろさは、ゴッホが解釈を鑑賞者の側に委ねたことにある。この作品は眺めれば眺めるほど、ひとつの回答を得られるどころか、とらえどころがなくなってしまう。このような曖昧さや多義性、つまりこれが「開かれた作品」である、、、(43ページ)

 

なぜこれがアートなの?

著者はアーティストとは「精密な具象画から奔放な抽象画にいたるまで、千差万別の手段を用いて不思議な現象を引き起こすことができる人々」(38ページ)という。

文字を使う我々にとって、絵画の持つ主題を読み取ることだけに注力する必要はない。主題を読み取るのであれば文字を使ってもっと精緻に伝達が可能である。

本書での著者の主張は、「なぜこれがアートなの?」と問いかけることの重要性である。「開かれた作品」とは作品の解釈が鑑賞者に委ねられることである。アートが何らかの不思議な現象を引き起こすことが目的なのであれば、なぜ我々は不思議な現象を引き起こされたのかを考える必要がある。

アートに限らずすべての事象の解釈は自分に委ねられていることに気づく。何らかの事象には必ず意味がある訳ではない。しかしそこで何らかの解釈を引き出すことも可能である。あるいは何の意味もない、と解釈することも可能である。

アートの前に立った時と同様、何かに直面した時、解釈は、解釈しないことも含め、自らに委ねられている。

蛇足

人生の解釈は自由

こちらもどうぞ

 

kocho-3.hatenablog.com

 

 

kocho-3.hatenablog.com