毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

私のやりたい事は何か?~人間として、当たり前の自由人として、その為に「自我」を確認し続ける行為である。

 アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史(Wiki

1624年イギリスがバージニア植民地に初めて入植したすぐ後に始まり、1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条の成立で終わったことになっている。

1876~1964年ジム・クロウ法(アメリカ合衆国南部の州法)

主に黒人の、一般公共施設の利用を禁止制限した法律を総称していう。インディアン、ブラック・インディアン(インディアンと黒人の混血)などの、白人以外の「有色人種」(Colored)も含んでいる。撤廃されたのはわずか50年前!。

1895年プレッシー対ファーガソン裁判は、「分離すれど平等(英語版)」の主義のもと、公共施設(特に鉄道)での黒人分離は、「法令の中に理由があるのではなく、有色人種がそのように解釈しているからにすぎない。」人種差別に当たらないとし、これを合憲としたアメリカ合衆国の裁判。

 ブルース・ピープル-白いアメリカ、黒い音楽 (平凡社ライブラリー)

 

 リロイ氏は米国の評論家、詩人。本書は1963年の出版である。「奴隷制時代から続く人種の歴史が刻まれた黒人音楽の発展過程を、アメリカ社会全体の変遷のうちに描き出す。」

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マヤ・アンジェローは、詩人アミリ・バラカの死を悼む。 - 世界のメディア・ニュース

 

アメリカ社会の黒人の存在の変遷

アメリカにおかれうアフリカ人のただ一つの用途は、もっとも安価に調達できる農業労働力を提供することだったといっても間違いではない。(26ページ)

不運にも快走帆船で新世界に連れてこられたアフリカ人は、人類の一員にさえ加えて貰えなかった。ちょうどアフリカ人が肌の色によってその他の社会的構成員から露骨かつ永久に分け隔てられてしまった。(27ページ)

開放されたニグロ~いわゆる奴隷開放令の発布以前でも相当の数がいた~は「元奴隷」でありつづけることになった。(27ページ)

(奴隷開放により)史上初めてニグロがアメリカ社会の主流(白人社会)から孤立させられたのである。新たに機能し始めてジム・クロウ法(黒人差別を行う州法)やその他の社会的抑圧のおかげで、黒人は今までの主人からかつてないほど効果的に引き離された。(102ページ)

ニグロのエリート層~専門職の人々、すなわち医師、弁護士、法律家、一攫千金を夢見る小売商人~は程なく「(白人と黒人が)分離すれども平等」という考えを広めることに積極的になった。(99ページ)

“奴隷のメンタリティ”といったものも存在し、(中略)二百年にわたる奴隷制のあいだに奴隷が心理的適応をしなければならなかったこと、そしてそれがいかに社会的に見て不運極まりなかったか、ということである。(中略)そしてその拭いがたい痕跡こそが新たに分離された黒人社会の土台そのものに刻まれたのである。(104ページ)

奴隷とは何か?

奴隷は人間にはなりえない。人間にはそもそも、一生を労働のみに費やし、その他の人間存在の領域で生きがいを持たずにいることはできない。いやそうしてはならないはずだ。奴隷制は、感情表現を途方もなく制限したに違いない。それは重々しい束縛ゆえに、自由人であればどんなに想像力が乏しくても自分を出せる多くの表現可能性が奴隷には許されないのである。自我とは独立したアイデンティティを主張するものだが、それさえない。「大きくなったな何になる?」と訊かれたら、「奴隷」と答えるしかない。(109ページ)

蛇足

私のやりたい事は何か?と自問自答してみる。人間として生きる為に、