毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

今から140年前、資本主義に直面した岩倉使節団~彼らはヨーロッパと日本の技術格差を40年と判断した

堂々たる日本人―知られざる岩倉使節団 (祥伝社黄金文庫)

泉氏は岩倉使節団の研究家、「130年前の日本人、 彼らは世界から何を学び、 世界は彼らの何に驚嘆したのか?」

岩倉使節団(いわくらしせつだん)~Wiki

明治維新期の明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣した大使節団である。岩倉具視を正使とし、政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された。 元々大隈重信の発案による小規模な使節団を派遣する予定だったが、政治的思惑などから大規模なものとなる。一国の政府のトップがこぞって国を離れ長期間外遊するというのは極めて異例なことだったが、直に西洋文明や思想に触れ、しかも多くの国情を比較体験する機会を得たことが彼らに与えた影響は大きかった。また同行した留学生も、帰国後に政治・経済・科学・教育・文化など様々な分野で活躍し、日本の文明開化に大きく貢献した。

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岩倉使節団No2、大久保利通がヨーロッパから日本の知人に当てた手紙

何方に参りても、地上に産する一物もなし、ただ石炭と鉄とのみ。製作品はみな他国より輸入して、これを他国に輸出するもののみなり。製作所の盛んなる事は、嘗て伝聞する所より、一層勝り、至る所黒煙天に朝し、大小の製作所を設けざるなし、英の富強なる所以を知るに足るなり。」(127ページ)

使節帰国後の久米氏の米欧回覧実記の記述から

「当今ヨーロッパ各国、みな文明を輝かし、富強を極め、貿易盛んに工芸秀で、人民快楽の生理に悦楽を極める、この状況を目撃すれば、これ欧州商利を重んずる風俗の、これを漸致せる所にて、原来この州の固有の如くに思われるけれども、その実は然らず、欧州今日の富庶をみるは、一千八百年意向のことにて、著しくこの景象を生ぜしは、僅かに四十年に過ぎざるなり」 (160ページ)

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岩倉使節団 | Geordie Japan

使節団は資本主義の力を痛感

岩倉使節団はヨーロッパ、特にイギリスの繁栄を産業革命による高い生産性と自由貿易体制のメリットを生かした輸出競争力にあると判断した。イギリスは産業革命が本格化して40年、ドイツが既に英国をキャッチアップし始めている事から日本も充分可能だと結論を出す事になる。 その後日本は日露戦争使用した大砲を岩倉使節団が視察したイギリスのアームストロング社から購入する事になる。岩倉使節団が学んだのは資本主義のシステムであり、生糸を初めとした農業製品の輸出国という性格だけでなく、資本主義のプレーヤーとして活動するDNAはここに始まったと言える。現在我々はアジア国々のテイクオフが短期間に達成された事を知っている。40年の時間差、フォロアーはもっと短期間で追いつく事が可能である。

蛇足

 資本主義は常に成長を求める、日本は140年前、その担い手となった。