毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

芸術とは社会が求めるヴィジョンを可視化したもの~『 洞窟のなかの心』D・R・ウィリアムズ氏(2012原書は2002)

 洞窟のなかの心

ウィリアムズ氏は旧石器時代の壁画の研究家、 ラスコーやアルタミラなど、洞窟芸術は、芸術の起源は数万年前に突如誕生した。芸術はなぜ必要だったのか? 心のどのような機能が、表現にいたるのか? なぜ洞窟の中に誕生したのか?(2012原書は2002) 

 

洞窟壁画は芸術作品であったのか?

彼ら後期旧石器人は、なぜ辿りつくのも困難な真っ暗な地下の場所で「芸術作品」を想像したのだろうか。芸術作品は人に見られるために存在するという、一見したところ明白と思える事実は、洞窟の奥深いところで行われた後期旧石器芸術と矛盾するものである。

洞窟は霊的世界への入り口

私は今や次のように主張する。後期旧石器時代の洞窟内に入ることは、おそらくは、深いトランスの経験とそれに伴う幻覚へと通じる心的な眩暈(めまい)に陥ることと実質的に区別しかたいものと見なされていたと。地下の通路と部屋は地下世界の「内臓」であった。それらのなかに入ることは、地下世界へと物質的かつ心理的に入ることであった。「霊的」経験はこうして地形学的な物質性を与えられたのである。洞窟内に立ち入ることは、後期旧石器時代の人々にとっては、霊的世界の一部に入り込むことであった。(壁画の)装飾的なイメージはこの未知なるものへの道標(おそらくかなり字義どおりの意味で)に他ならなかったのである。(370ページ)

洞窟の壁面は“膜“

探求者たちは、視覚と触覚を通じて、岩肌の襞(ひだ)や割れ目のなかに力あふれる動物のヴィジョンを探し求めた。その岩はあたかも、洞窟内に立ち入った者たちと階層的宇宙の最下層の一つを隔てる生きた膜のごときであった。この膜の背後には、精霊動物と精霊それ自体の住まう領域があり、洞窟内の通路と部屋はまさしくこの領域の奥深くへと通じていたのである。(377ページ)

手形(ハンドプリント)

階層的宇宙や、人々と地下の霊的世界を隔てる膜としての岩壁について述べてきたことを考慮に入れるならば、ハンドプリント制作の行為が出来上がった手の形と同じくらい重要なものであると考えなくてはならない。・・・絵の具は手と岩とを結びつける媒介膜であった。・・・絵の具は単なる技術上の物質と見なされるべきではない。おそらくそれは一種の力を宿した「溶媒」であって、それが岩を「溶かし」、その背後にある領域との濃密な接触を可能にしたのである。(384ページ)

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最古の壁画はインドネシア、4万年前Cave paintings change ideas about the origin of art - BBC News

 

洞窟のなかの心

著者は洞窟壁画を今言う所の芸術=アートではなく、地上とは別に存在すると考えた精神世界への“道しるべ“だったと説明する。そもそもアートの為のアートとは近代西洋の生み出した概念であり、芸術は個人的な美的感覚の追求であっても「社会全体の目的に資するもの」(75ページ)であるという。今から3-4万年前洞窟壁画は精神世界と地上との接点を可視化するという社会的役割を担っていたのである。

旧石器時代の人も皆と共有できるヴィジョンを作品に見出すからこそ、作品を描いた。逆に言えばアートとはどれだけ広い人々の役に立つか、を求められていることになる。それは現在のアートもまったく一緒である。

蛇足

アートとは将来のヴィジョンを形にすること

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