毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

イネの農耕社会に移行するのに2000年かけていた、人類は「行きつ、戻りつ」~『知ろう 食べよう 世界の米』佐藤陽一郎氏

佐藤氏は植物の遺伝学の研究家、 イネはいつから栽培されたか?2012年刊

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野性イネと栽培イネの生物学的な差

 

ジャポニカは今から数千年~1万年前ほど前に、中国の長江の中流から下流にかけての地域で生まれたとされている。野性イネに対し、栽培イネは①脱粒しない、②休眠性を持たない、という生物学的な特徴を持つ。

 

遺伝学的には、これらの現象は多くが遺伝子の働きが失われる事でおきます。つまり遺伝子的には、野性植物→栽培植物という変化はいくつもの劣性突然変異を集積することなのです。そしてこのプロセスを栽培化と呼んでいます。(33ページ)

 

野生種の特徴

イネ科の野性植物は遺伝子の働きにより成熟すると稲穂から種子が落ちてしまう。(脱粒する)また種子が水と温度があたえられても直ぐに発芽しない。(休眠性あり)野性種においては脱粒しなかれば子孫を残せないし、脱粒して直ぐに発芽する事は気候サイクルに適合させる意味でも必要である。人の手を借りない野生種はこれらをメリットとして活かしていた事になる。

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栽培イネはいつから始まったか?

 

人は栽培イネが脱粒せず、蒔いた途端に発芽する性質のものを選択して栽培した。しかしその過程は一直線では無かったと考えられている。

 

人間の社会は、どうやら、時には狩猟採取の社会になったり、またときには農耕の境になったりということを繰り返していた様です。栽培化した穀物を受け入れたときとそうでないときとがあった様なのです。だから穀物栽培もなかなか定着しませんでした。・・・(中国の遺跡で発掘される種子の分析から)穀物としてのイネが表れてから定着するまでに2000年もの時間がかかった事が明らかになっています。(35ページ)

 

人類は一直線に農耕を始めた訳ではない

 

農耕に意向するのに2000年を要したという事は人は、喜んで農耕を始めたのではなく、止むを得ず始めたという事。栽培イネが脱粒せず、いつでも蒔けるという条件を持ってしても十分では無かった事になる。狩猟採取生活の方が農耕生活より豊かだったか、安定的に農耕生活を営む他の条件を充足していなかったか、本書はこの点については触れていない。

2000年は「行きつ戻りつ」であった。我々の活きている時間も別の意味で「行きつ戻りつ」である事に替わりない。

蛇足

 

穀物はデンプン質を摂取する事に特化させた1年草

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