我々は今”工場から囲い込まれる”時代にいる~『限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭』J・リフキン氏(2015)
限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭
リフキン氏は文明評論家、資本主義からシェアリング・エコノミーへ デジタル革命の真のインパクトを読み解く。(2015)
限界費用ゼロという意味
財やサービスの生産量を1ユニット増加させるコストが、(固定費を別にすれば)実質的にゼロになり、その製品やサービスがほとんど無料になるということだ。仮にそんな事態に至れば、資本主義の命運とも言える利益が枯渇する。(13ページ)
コモンズの起源
コモンズの管理が現れたのは封建社会で、そこでは強力な領主たちが地元民を搾取し、荘園の畑で働かされたり、税とう形で収穫の一部を差し出させられたりして、地代を取り立てた。人々にとって、結束し、共有型経済を形成する以外、手元に残った乏しい資源を最大限に活用する方法はあり得なかった。・・・コモンズの利権を共有し、その資源を分かち合うべく構想された自主管理と統治の民主的な形態は、人々を隷属状態に保つ専制的な封建体制の下で生き延びるための、適応力のある経済モデルだったのだ。
コモンズの破壊
多くの歴史学者が「貧者に対する富者の革命」と見なす囲い込み運動は、16世紀から19世紀にかけてイングランドで行われ、経済と政治の状況を根本から変えた。何百万もの農民が祖先代々の土地から立ち退かされ、自由契約者として行動することを余儀なくされ、以後その労働力は、芽吹き始めた中世の市場で賃金と引き換えに利用されるようになった。(52ページ)
土地を追われた何十万という農民は、ほんの数年前までは我が子を養う燕麦やライ麦のために耕していた草地で羊が草を食むのを、為す術もなく見守っていた。人々が至る所で落ちぶれて飢えに苦しんでいるのを尻目に、羊が太らされ、毛を狩られ、イングランドや大陸で次々に設立される新しい織物工場に羊毛が急送された。(53ページ)
コモンズから資本主義へ
コモンズを囲い込み、何百万もの農民を祖先代々の土地から引き剥がし、彼らの労働力を吸収する用意がまだできていない新たな都市社会での自活を強いたことで、人々は苦境に陥り甚大な犠牲を払ったとはいえ、市場全体の転換は最終的に、封建時代のコモンズで暮らしていた家族には創造もつかなかった形で、平均的な人々の境遇を改善した。(96ページ)
限界費用ゼロの社会
本書では限界費用ゼロの社会、すなわち資本主義が終焉した後、協働型(コラボレーション)コモンズ、あるいは共有型経済(シェアリングエコノミー)で提供されると主張する。
コモンズとは誰の所有にも属さない放牧地(草原を広範囲に移動する遊牧民でも自由に利用できる放牧地)のこと。コモンズの起源は中世封建社会であり、それを打ち破ったのがイギリスではじまった囲い込み運動。資本主義の果てには様々な物・サービスが無料で提供されることでコモンズが復活することになる。
資本主義が生んだ工場労働は、限界利益ゼロの社会ではIT化・ロボット化などにより急速に労働力を必要としなくなる。これは第二の囲い込みである、と気づく。農民が生活の基盤と誇りを失った様に、工場労働者は生活の基盤と誇りを失う。農民は工場労働にシフトすることで豊かな生活を築いた。それは毛織物という新たな欲望を生み出したことによって成立した。
工場から囲い込まれる
我々は工場労働から次のモデルへの変換期に差し掛かっている。本書最後で著者は「完全に自動化されたハイブリッド経済の創出は、極限生産性をもたらすものであり、今後、より少ない人口で比類のないほど質の高い生活を享受することを可能にしうる。」(487ページ)という。
300年前の囲み込みと違う所は、社会は既に豊であり、次のモデルへの転換を模索する時間を持っていることである。我々は飢えと直面することなく、次の社会を模索する時期に居る。
蛇足
農業に固執したこと、工場労働に固執すること、違いはあるのか?
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