毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

資本主義というシステムの頂点から映る社会~250年前の絵画が教えてくれる事

 

怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)中野氏は作家、ドイツ文学研究者。文庫は2012年6月の発行、「美術と歴史の教科書です。by村上隆」本書の帯より

 

イギリスのゲインズバラによって1749年描かれた アンドリューズ夫妻についての「怖い絵」の話に着目する。

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トマス・ゲインズバラ - Wikipedia

 

若きアンドリューズ夫妻の財産目録

当時は自邸に飾る肖像画自体がステイタスシンボルである。画家は衣装、宝石、勲章、書籍、美術品、家具調度など、様々な持ち物を画面に散りばめ、モデルの社会的地位や富、名声や教養、毛並みの良さを、叱るバク示すのが腕の見せ所だった。(中略)彼らの富裕の証が、まさにこの景色なのだ。なだらかな野や畑、どこもあでもエンドレスに続きそうな広大で肥沃なこの土地は、全て彼らの持ち物だ。絵を見たものは直ちに若いカップルの門閥、唸るほどの財産、そこからくる社会的地位に、感嘆せざるを得ないであろう。絵の中江で二人がお高くとまっているのも当然だ。(228ページ)

 
この絵は囲い込み後の農村の風景

 ではこの絵をもう一度見直して欲しい。畑がある。牧草地がある。でも働き手はいない。単に描かれなかっただけではないのか?だぶんそうであろう。しかし例え現実をそのまま描いたとしても、農夫や雑役夫の数は極めて少なかったはずだ。なぜなら麦刈りも作物の取り入れも既に終わっているから。農業従事者のほとんどが期間限定の、つまりパートタイムの労働者なので、仕事が終われば情け容赦なく首にされてしまう。田園には、搾取の痕跡が見えないようになっているのだ。薄汚れた彼ら(季節農業従事者)の姿が目の届く範囲になくなれば、きちんと刈り込まれた領地の景色は欠点なしの美しさに輝く。(229ページ)

囲い込み運動(Wiki)

囲い込み(かこいこみ:enclosure)は細かい土地が相互に入り組んだ混在地制における開放耕地(Open Field)を統合し、所有者を明確にした上で排他的に利用する事。歴史上、幾度となく繰り返されてきたプロセスであるが、特にイギリスにおいて16世紀と18世紀の二回行われたものを指す。第一次囲い込みは牧羊目的で個人主導で行われたのに対し、第二次囲い込みはノーフォーク農法などの高度集約農業の導入の為に議会主導で行われた。

囲い込み運動は所有権の明確化により、農業の生産管理と弾力的な労働力の投入により、「ある意味で理想的農村風景が現れた、農産物の飛躍的増産を通じて国家経済を潤した」と解説する。一方で囲い込みにより共同所有地を失い、農業季節労働者になったこのシステムの恩恵に浴さない人々がこの絵に描かれないこそ、この絵を「怖い絵」と評した。

この絵は現代に通じる資本主義の視点を表す

囲い込み運動は農業生産と農村における資本主義の拡張と純化の過程であった事に気づく。アンドリューズ夫妻にとっては季節農業従事者の姿は見えず、農地は富を生む資本でしかない。この絵は資本家がどう世界を認識しているか、その視点を提供してくれる。我々は260年前と同じ資本主義の社会に生きている。アンドリューズ夫妻の視点から見た時日常はどのように映るのであろうか?

 

蛇足

我々が生きる社会は資本主義という事を前提に考える。