毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

重要なこと、「相手の身になって考えてみよう」~『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』橘玲氏(2016)

「リベラル」がうさんくさいのには理由がある

誤解と差別とダブルスタンダード!世界標準からかけ離れたニッポンの「リベラル」(2016)

 

 「民主主義」をやめることから始めよう

 

デモクラシー(democracy)は神政(テオクラシーtheocacy)や貴族政(アリストクラシーaristocracy)と同じ政治制度のことですから、「民主政治」「民主政」「民主制」などとすべきで、「民主主義(democratism)」は明らかな誤訳です。リベラルデモクラシーは「自由民主主義」と訳されますが、これは「自由な市民による民主的な選挙によって国家(権力)を統制する政治の仕組み」のことです。(80ページ)

戦後民主主義の限界

戦後民主主義は、300万人の死者と広島・長崎への原爆投下という悲惨な結末を招いた日中戦争・太平洋戦争への反省から生まれました。その根本理念は「二度と戦争をしてはならない」で、これに反対するひとはいないでしょう。・・・(共産主義を支持して、それが失敗に終わったことが明らかになった後)日本のリベラルな知識人は、思想的な根拠を失って大混乱に陥りました。本来であればここで新しい政治思想を構築すべきだったのでしょうが、プライドの高い彼らは保守派への敗北を嫌って過去の主張に固執しました。(94ページ)

本来の政治の目的とは

私たちは「自分の感情に正直であるべきだ」と思っています。しかし人種差別や性差別をいまだ克服できないように、進化の過程で生まれたプログラムのなかには現代社会にとってきわめて不適切なものがあります。・・・「政治」のもっとも重要な役割は、ヒトの進化論的な歪みを矯正し、差別や暴力を抑制することです。それに比べれば景気がいとか悪いとかはどうだっていい話ですが、残念なことにこの優先順位はしばしば逆転してしまうようです。(127ページ)

「リベラル」がうさんくさいのには理由がある

橘氏の主張を一言で言うと、「自らの無謬性にこだわり、歴史を直視することを怠った『「リベラル』」(73ページ)ということになる。デモクラシーとは民主制であって、政治の仕組みである。それを戦後民主主義はリベラルとは「二度と戦争をしない」為に共産主義に共鳴し支持した。ソ連の崩壊によって共産主義の実験は失敗した今日になってもその後の理論構築に成功していない。これは自らの無謬性にこだわった結果だという。

高度資本主義の今日、政治によって素晴らしい経済政策が実施できる訳でもなく、差別や暴力を抑制することが政治の役割であるという主張こそが本来のリベラル、民主制の役割であろう。

本書は保守・革新のどちらにも組みするものではない。リベラリズムの本質とは「自分が受け入れられないことを相手に課してはならない」という寛容さにある。相手の間違いを指摘するなら自分の間違いをも受け入れなければいけない。それは個人においても一緒である。

蛇足

リベラリズムとは、相手の身になって考えてみよう、ということ

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