光秀と秀吉を分けた違いとは何だったのか?~『人間を考える』松下幸之助(1972年、当時77歳)
人間を考える (PHPビジネス新書 松下幸之助ライブラリー)
「人間には、万物を支配する力が、その本性として与えられている」―20年以上にわたる研究の末、人間の本質を究めた「新しい人間観」。それをもとに人間の歩むべき道を説いた「真の人間道」。経営者として一時代を築いた著者が、思索家として到達した哲学の真髄をまとめた一冊。(初版は1972年、松下幸之助77歳)
新しい人間観
人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。( location 123)
衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である。( location 139) • Delete this highlight
宇宙万物いっさいは、常に変化し、絶えず流転しているのです。( location 353)
素直な心とは私心なく曇りのない心といいますか、一つのことにとらわれずに物事をあるがままに見ようとする心なのです。( location 624)
結局は国家、民族の伝統、個性を互いに認めあいつつ、世界全体としての衆知を集め、高めていこうというものだと思います。( location 953)
信長、そして秀吉と光秀
信長は、重臣の反対を押して桶狭間へ一人討って出たように、自分がいったん是と考えたら、おいそれと家臣の諫言に耳をかすような人ではなかったのでしょう。それがよかれあしかれ信長の性格であり、そういう性格だからこそ、わずかのあいだに麻のように乱れた天下を統一できたともいえると思います。
そうした信長の長短併せもった性格を、光秀はありのままに容認できず、主君に対する配慮というか処遇を誤った。その結果、だんだんと信長からうとまれ、最後は身を滅ぼすことになってしまったのではないでしょうか。
その点、秀吉は、信長という主君をあるがままに認め、その対処のしかたが適切であった。そこに彼の成功があったのではないかと思うのです。
秀吉と光秀との違いといえば、自分の主君に対して、人間道でいうところのありのままの容認と適切な処遇というものが、十分にできていたかどうかという基準から判断できるのではないでしょうか。そこに二人の運命が変わっていった一つの原因があるように思うのです。。( location 1777)
創業者として、松下幸之助は、人をどう見ていたか?
光秀は学がある、という誇りがあった。光秀はその誇りが故に素直な心を持つことができなかった。光秀は学があるという驕り、自分の利害から離れることができなかった。
松下幸之助は創業者として多くの人を使ってきた。光秀タイプと秀吉タイプなど様々な部下がいた。
経営のトップである松下幸之助は事業によって世の人々が、日本全体が、世界の中で、そして全宇宙から見ても、利益があるか?という視点で判断していた。松下から見れば、部下の多くの行動に素直でない心、つまり自己の利益から離れなれない心を見抜いてしまう。松下は様々な部下を、素直な心で見つめていた。だから松下は様々な部下の衆知を集めることに成功していた。松下幸之助の人間観察が、光秀と秀吉の比較に至る。
蛇足
自分の利害を横において、判断できるか?
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