毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

16世紀のジパング、知っておく必要のあること。

安土桃山時代1573–1603

安土桃山時代は、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。安土桃山時代には、新興商人が成長し、その富を背景にした豪華で大掛かりな文化傾向が見られる。1,549年ザビエルの来日以来の南蛮貿易による南蛮文化の影響が挙げられる。まだ小規模ではあったが、日本が初めて西洋文化と直接(中国などを介さずに、正式な形で)触れ合ったという点で重要である。(Wikiより)

世界の経済活動に流動性を与えた銀

新興商人の勃興の背景には海外貿易と世界的な流動性の拡大がある。当時の決済には銀が大きな役割を果たす。16世紀の銀の産出は日本の銀山とスペイン領(現在のボリビアポトシ銀山とがその多くを占めていたという。

世界史の中の石見銀山(祥伝社新書202) (祥伝社新書 202)

豊田氏は日本のアジア関係史をテーマにする作家。氏は世界の銀産出量の1/3という大量の銀(6,000トンとも推計、その中心は鳥取県の岩見銀山)が採掘された要因にポルトガル人のインセンティブがあったと説明する。ポルトガルは1580~1640にスペインに併呑されており、マラッカ、マカオなどアジア地域のポルトガル人にとっては故郷喪失者となって日本への移住を目指し、彼らは貿易に依存して自活していく道を選び、日本の銀取引の拡大に貢献したと分析する。この資金が安土桃山時代の経済・文化を支えて

 ポルトガル人は、日本人の意向をかなえるためにも、これまで以上に貿易に精を出すしかなかった。マカオの基地はポルトガル滅亡の直後に資産を接収されたことがあるが、その後はいちおうポルトガル人の裁量に任されている。(中略)在日ポルトガル人は亡国当初の命の不安は、ひとまず消えたものの、いつスペイン人の気が変わらないとも限らないから、自力で生きていかなければならない。(137ページ)

知っておく必要のある事

日本は正にジパング、世界貿易で大きなシェアを持っていた。その後の江戸の鎖国政策だけが日本のイメージではなく、内向きな日本と外向きな日本が交互にやってくる、と認識した。どちらも日本の姿であろう。日本にまとまったヨーロッパ人が移住を決意する、というのも日常からは想像できないがこれも何ら限界ではない、と思考のリミットを外すべきである。いた。