毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

人は人とつながることで幸せになれる~『ゴースト・ボーイ 』マーティン・ピストリウス

ゴースト・ボーイ 

1988年、12歳のマーティン・ピストリウスは原因不明の病気になった。18ヵ月後には口もきけず、車椅子に座らされていた。 医師たちは両親に告げた。退行性の未知の病で、彼の心は赤ん坊に戻ってしまった、と。誰も知らなかったのは、身体こそ無反応だったけれど、マーティンの心はゆっくりと目覚めていたこと。でも、それを伝えるすべがなかったこと。 10年たった頃、あるセラピストが気づいた。マーティンの一部が目覚めていると。そして両親も、息子の知性が少しも損なわれていないと知った。(2015)

目覚め、そして最大の喜び

(介護士の)ヴァーナはぼくを見てくれる、ただ一人の人だ。もっと大事なことは、ぼくがここにいる、と信じてくれること。ぼくの言葉―微笑み、凝視、うなずきといった、ぼくが思い通りにできるすべてのもの―を理解してくれる。…(ヴァーナとコミュニケートできたとき)喜びがわっと身体中に広がり、ぼくは微笑んだ.ヴァーナが微笑み返してくる。理解してくれている!(68ページ)

人は言葉でコミュニケーションする

つまるところ、言葉や会話によって、人は他の動物と一線を画しているのだ。言葉や会話がぼくらに自由意志と力を与えてくれる。人はそれを使って自分の望みを表現し、他人の求めを拒んだり受け入れたりできる。だけど、声を持たないぼくは、ほんのささいなことですら思い通りにできなかった。(103ページ)

最大の敵「孤独」

部屋の中で人々に囲まれていても、「孤独」はゆっくりと元気を吸い取っていくからだ。・・・そんな僕を救っていれたのは、「孤独」には弱点がある、と気づいたこと。つまり、彼女(復讐の女神)がかせ糸のようにぐるぐると巻き付けた孤独は、時としてほどけることがあるのだ。・・・父さんは常に最新の注意を払って、ぼくを優しく扱ってくれるようになった。…そのたびに、「孤独」がうなり声を上げながら、一人ぼっちの洞窟へ戻っていく。父さんがぼくへの思いを示してくれるたびに、2人で「孤独」を打ち負かしたのだ。(107ページ)

見知らぬ人がつなぎ止めてくれる

正看護婦が別の看護婦に、「いい患者さんだから好きよ」とぼくのことを話しているのが聞こえたり、介護士が「床ずれしないように」と肩にローションをすり込んで、痛む肌を癒してくれたり、退院の日に車に乗っていると、通りかかった男性がにっこりとしてくれたり。こんな出来事は一度にどっと起きるわけじゃないけれど、振り返ってみると、よく知らない人たちの小さな行為が、ぼくと世の中をもう一度つなぎ始めてくれたのがわかる。(228ページ)

我々はつながりたい

 

マーティン氏は12歳で意識を失うが、19歳の頃に覚醒する。身体の自由を失っていたマーティンは自分が覚醒したことを伝えられずにいた。介護士の一人ヴァーナがマーティンに意識があること気づくまでの6年近く、自分でコントロールできない身体の中に閉じ込められていた。それが最終的にはコンピュータを使ってコミュニュケートの手段を確保することに成功する。

人間は一人では活きていけない、とよく言う。マーティンは6年に渡る生活の中で、人と分かり合うことに最大の喜びを見出す。家族、介護士、といった人たちだけでなく、通りすがりの人の微笑み一つにでも喜びを見出せたと綴る。

人それぞれ様々なコミュニュケートの道具を持つ。知名度故に広範の人々にメッセージを届ける人もいる。コンピュータに出会う前のマーティンのように、自らの意思を伝える方法の極めて限られた人もいる。

私の受け取ったイメージは、自分の中に閉じこもるな、発信しろ、ということ。発信が見知らぬ人に喜びを与えることだってあり得るのだから。

マーティンがコミュニケーションを奪われていた6年間の経験は人の本質を教えてくれた。

蛇足

 

人は人を幸せにできる

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