大和魂とJapan Coolをつなぐもの~『羊の歌―わが回想』加藤周一(1968)
加藤周一(1919 - 2008)は評論家、「現代日本人の平均に近い一人の人間がどういう条件の下にでき上ったか、例を自分にとって語ろう」と著者はいう。(1968年)
大和魂の語は本居宣長が提唱した「漢意(からごころ)」と対比されるようになり、「もののあわれ」「はかりごとのないありのままの素直な心」「仏教や儒学から離れた日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」のような概念が発見・付与されていった。(Wiki)
226事件前夜
私は1931年満州事変のはじまった年に中学校に入り、1936年2・26事件の年に中学校をでた。その間毎日私は新聞を読み、放送を聞いたが、日本国がどこに 行こうとしているのかを全く知らなかった。・・・中学生の私に、日本国の行く末が全くわからなかったのは、情報が不十分だったからではなく、情報を分析し総合する能力が私になかったからである。そういう能力を、私は父からも、身辺の他の誰からも、習うことができなかった。・・・そうして私たちは、平和に、のどかに、戦争の話をしながらもその意味を理解せず、「おそるべき重大な」内幕話をどきどき聞きながらも、「おそるべき」ことが我が身に及ぶだろうとは決して考えず、要するに善良な市民として、1936年2月26日が次第に近づいてくるうのを、それとは知らずに待っていたのである。(111ページ)
加藤家の人びと
他人との交際を嫌うことの極端になっていた父と、本来賑やかな付き合いを好んでいた母との間には、不和といわぬまでも、絶えず意見の食い違いあった。また文藝の逸事に凝って学業に不熱心な私と、息子に対して全く別の期待をかけていだであろう父との間に、しばしば、激論の闘わされることがあった。それにもかかわらず、東京の家の空気が暗くもなく、険しくもなかったのは、妹がそこにいたからであり、妹はそこにいるというだけで、なごやかな空気を作り出す一種の能力が備わっていたからだろうと思う。(139ページ)
国民精神総動員
その頃の政府は、「国民精神総動員」と称して、むやみに多くの標語を作り出していた。「ぜいたくは敵だ」・・冗談ではないと私たちのなかのマルクス主義社はいった。「低賃金を支えにして育ってきた資本主義国ではないか。食うや食わずの大衆に向かって、ぜいたくは敵だもないものだ。」また大和魂、武士道、葉隠・・・」---一体この連中は本居宣長をまじめに読んだことがあるのだろうか」と私たちのなかの学者はいった、「宣長の大和心はもののあわれですよ。あれば源氏物語の恋の世界だ。武士道は、江戸時代に、武士の規律がゆるんで手が つけられなくなったから、役人がこしらえたものです。江戸時代のその一面だけを捉えて、大和魂を代表させるわけにはゆかない」。(150ページ)
Japan Coolと大和魂
本書は加藤周一の終戦までの回想録。1966―1967年に「朝日ジャーナル」に連載された。
加藤周一の子供時代、戦争に向かう中での出来事が淡々と綴られる。その時代と2015年は間違いなくつながっていると実感する。私は大和魂とは日本的な勇ましいものと思っていた。戦後でも戦前と同じ文脈で使っているのである。日本的なもの、を強調するとき、そこにはナショナリズムがある。大和魂と現代のJapan Coolに構造の違いはあるのであろうか、と考えた。
人は社会の中で生活をし、家庭を持ってきた。人は社会の動きから逃れようがないが、家庭は社会との一定の防波堤になる。加藤周一の父は医者、そして本人は東大医学部在学、知識人と言っていいであろう。知識人の家庭でも持てなかった「情報を分析し総合する能力」を持つにはどうしたらいいのであろうか?我々の住んでいる日本という国は戦前の日本と大して違わない社会なのだと知っておく必要がある。
蛇足
大和の反対は漢才
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