毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

世界は今も文化的に孤立しているのかもしれない~1998年刊「翻訳と日本の近代」から考える事

翻訳と日本の近代 (岩波新書)

日本の近代化にあたって,社会と文化に大きな影響を与えた〈翻訳〉。何を,どのように訳したのか。また,それを可能とした条件は何であり,その功罪とは何か?1998年刊。

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LinguaFrancaフランク王国の言葉」を意味するイタリア語であるが、転じて、共通の母語を持たない人同士の意思疎通に使われている言語のことを指す。

 

加藤周一氏の「あとがき」から引く。

翻訳の一方通行性

外国語から日本語への翻訳は、その外国が中国であっても、西洋諸国であっても常に文化の一方通行の手段であった。異文化間の接触が、「両面通行」であり得る為には、日本語かから外国語への逆翻訳が同時のい行われるか、複数の文化に共通の言語、Lingua Francaがなければならない。逆翻訳は、江戸時代においても、明治以降近代においても、極めて稀な例外でしかなかった。LinguaFranca(または国際語)は、中世のヨーロッパには存在したが、19世紀から20世紀の前半にかけての世界には存在しなかった。かくして文化的「一方通行」は、鎖国ばかりではなく、近代日本をも特徴づけることになったのである。

文化的孤立

文化の「一方通行」は、国際社会における孤立を意味する。その孤立を破り、国際社会において自己を主張するために、近代日本が採った手段は、まず軍事力であり、軍事力による自己主張の失敗の後には、経済力であった。しかし円滑なコンミュニケイションを伴わない経済力による自己主張には限界があり、円滑なコンミュニケイションは、文化的孤立の条件のもとでは成り立たない。

19世紀から20世紀前半の日本

日本は江戸時代は中国から明治以降は西洋から大量の知識を翻訳し吸収していった。我々は他国の文化を吸収する柔軟性を持った、と利点と解釈している。明治期の近代化において資本主義、社会的進化論、が帝国主義的拡張政策に結びついた。欧州の植民地主義は行き詰まりを見せていたのだとすれば、それをどうやって認知する事が出来たであろうか?「両面通行」によるディスカッションが本質的に欠けていたのではないかという結論に達する。軍事力としての日本の失敗は正に西洋の失敗であった。

19世紀から20世紀前半の西洋

西洋もネーションステートの確立過程で英語、フランス語、ドイツ語、といった「国語」が奨励された。そこにマスメディアが文化的孤立を加速してしまった。中世ヨーロッパにあったLinguaFrancaが分断され、後退してしまったと言える時期であろう。文化的孤立は日本だけではなかったという事でもある。

我々は、世界は文化的孤立から脱しているか?

如何に欧米の知識が翻訳されたとしてもそれは両面通行ではない。両面通行の為には日本語からLinguaFrancaに翻訳され、発信される事である。それは日本で行われてもいいし、日本以外の人々によって成されてもいい。誰かが何らかの形で日本を翻訳する必要があるという事である。

蛇足

LinguaFrancaを「共通の文化的様式を持たない人同士の意思疎通に使われる文化的様式」と拡張してみる。

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