毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうしてマスタープランが必要か?太平洋戦争と石油から学ぶ~『人間はなぜ戦争をするのか』日下公人 氏(2000)

人間はなぜ戦争をするのか―日本人のための戦争設計学・序説 (知的生きかた文庫)

 日下氏はエコノミスト、戦争は「正義と邪悪が戦うものではない」ことを、史実と丹念に収集した多くの情報から説明する。(2000)

 

 

大東亜戦争を誘発した石油の消費量と備蓄量の計算を担当したのは、陸軍省燃料課にいた26歳の青年将校・高橋氏である。(236ページ)

一般の常識では、日本は石油がないから開戦したことになっているが本当は石油が無いと思ったから開戦したのである。(239ページ)

 

以下は日下氏が言及した高橋健夫の著書より引用。

f:id:kocho-3:20150617063055p:plain 油断の幻影―一技術将校の見た日米開戦の内幕

「政府は速に燃料改革を樹立すべし。右建議す」

 

 

大正9年(1920)の第43回帝国議会の商工委員会であった。・・・艦隊用燃料が従来の石炭から重油にかわるという事情もあり、海軍の働きかけで政府に燃料対策の緊急確立を要望したものと考えられる。・・国会で、一石が投ぜられ、第一次世界大戦後の「石油の一滴は血の一滴」のスローガンが浸透するにつれて、「燃料対策」の重要性は受け入れられることとなった。まず研究室が設立され、・・・以後20年間時々思い出したように調査会や審議会が開かれた。・・・(議論だけで実行されなかった間)、重要増はそのまま輸入量の増大によって賄われていたのだ。その輸入は、外貨さえ工面すれば可能であった。(18ページ)

 

高橋氏は1985年、本書執筆で振り返る

 

 

燃料整備担当課としてのせめてもの救いは、燃料のために作戦に支障をきたしたという事例はほとんどなかったという点だ。これは考え方によっては、長い間持ち続けた「油断の幻影」に恐れおののいて、すべての焦点をそれにあわせたことが、あまりに感覚的で論理性を欠いていたのではないかという反省にもつながる。他のことは大丈夫なのに、油だけが足りなくなって涙をのむ、などということはなかった。(214ページ)

 

太平洋戦争とは何だったか?

 

 

 

(米国に)対するわが国では、美辞麗句を羅列して国としての団結をうたっていたにもかかわらず、それはあくまで建前としてとどまっていた。全体としてシステム化するより、多数の小規模集団がその本音の部分を、建前論を使って小細工をふりかざし、むしろ抗争に明け暮れていたという点で、私はなはなだしい劣等感におそわれたのであった。敗れるべくして敗れたのだった。表面に表れた物量の差などでは、決してなかったのではないか。(239ページ)

 

陰謀論に囚われない

 

開戦直前に米国は日本の石油買いだめを許していた。高橋氏は「日本が石油の確保によってぎりぎり開戦を決意するのを待っていたのかもしれない」と思っていた。これを米国の陰謀論だと言うことには意味がない。

日本は石油の権益を持っていなかった

 

日本は石油の輸入の80%を米国に依存し海外に石油の権益を一切持っていなかった。第一次世界大戦後原油の重要性が認識されながら有効な政策を打たなかったことの方が本質である。だから米国は石油を使って日本に圧力をかけることができた。

それではなぜ政策が打てなかったのか?高橋氏は「小規模集団」にわかれ全体計画がなかったことを指摘する。議論を戦わせた上でのマスタープランがなかったのである。

蛇足

 

我々の人生にもマスタープランが必要

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