毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々はいつから「石油」という言葉を使っているか知っていますか?~『石油と日本 苦難と挫折の資源外交』中嶋猪久生 氏(2015)

石油と日本: 苦難と挫折の資源外交史 (新潮選書)

中嶋氏は国際金融論の研究家、無資源国・日本は、先進国であるために、「資源外交」に身を投じた。そこは国同士がエゴを剥き出しに衝突し、謀略を巡らす現場だ。アメリカに脅され、アラブに逃げられ、そして中国は奪っていった…。(2015)

 
日本での石油の歴史

 

1859年、アメリカ・ペンシルバニア州エドウィン・ドレークが機械掘りを始めて近代石油産業が勃興したといわれるが、日本の開発もそう遅れをとっているわけではない。・・・実は明治維新の翌年、1869年には最初の石油探索が始まっているのだ。(26ページ)

 

石油と太平洋戦争

 

 

経済制裁が発動される前、日本の輸入原油の約70%がアメリカからもたらされたものであった。したがってアメリカの制裁が強まれば、必然的に新たな原油の輸入先を求めざるを得ない。(78ページ)

 

現代の経済制裁、イランの場合

 

 

宗教的指導者や革命防衛隊等、イスラム保守勢力の主導により強硬に核開発を進めるイランに対し、アメリカは2012年、イラン産原油の禁輸、ドル決済システムから排除して制裁を加えた。またイランと取引する外国金融機関にも制裁は及び、国連を中心とした国際社会はアメリカの方針に同調せざるを得ない環境となった。(71ページ)

 

1940年代の日本を同じ文脈に置く

 

軍部主導により強硬に日本による中国大陸進出を進める日本に対し、アメリカは1941年、対日石油全面禁輸、在米資産を凍結して制裁を加えた。また日本と取引する外国金融機関にも制裁は及び、イギリス、オランダ、中国等はアメリカの方針に同調せざるを得ない環境となった。(71ページを下に作成)

アメリカの伝統的外交手法

 

 

日本はアメリカとの戦争という道を選択したが、イランはアメリカを含む国連安保理事国+ドイツとの交渉の場につき、暫定合意にまで持ち込んだ。・・・敵の“弱点”を見るや、真綿で締めるかのごとく、じわじわと巧みな経済制裁で段階的に世界から孤立させてゆき、国内経済を徹底的に疲弊させ、最後に制裁対象国から大きな決断を引き出すアメリカの伝統的外交手法と見ることができよう。(72ページ)

 

石油の呪縛

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60ページ 1939年に商工省技師であった三上氏が作成した石油権益図

 

日本の石油への取り組みは米国に遅れることわずか10年で始まった。新潟など限られた原油は採れたものの日本国内では大規模油田を発見できなかった。樺太、中国、台湾と範囲を拡大、採掘は続けるも必要量を確保するには至らなかった。本書から1938年にはサウジアラビアと油田権益の交渉を行うも、巨額の費用と中東から日本までの輸送リスクを懸念して断念していた経緯を知る。日本は石油の時代に欧米に出遅れたのではなく、結果を出せなかったのだ。

 

そして石油はパワーの根源なのだと再認識する。石油と金融とセットとなった時軍事力にも勝る破壊力を持つ。70年前の日本、現代のイラク、石油と金融の力は今もまったく変わらない。陰謀論ナショナリズムは必要ない。我々は石油と金融に依存した社会に、150年間ずっと生活していることを実感することこそが必要である。石油の世紀が始まって150年、世界は今も石油を巡って動いている。

蛇足

 

日本で「石油」という言葉の誕生は1972年、それまでは「くそうず(臭生水)」と呼ばれていた。

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