正方形と台形を"同じ形で見る方法"があった、それが射影変換であり構造主義~『はじめての構造主義』橋爪大三郎氏 (1988)
構造主義とは「あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論」を指す言葉である。橋爪氏は構造を数学的概念であると説明する。(1988年刊)
正方形を様々な方向から眺める~射影変換
正方形にもみえるけれど、台形や、たこ形や、だだの四角形にみえることがわかる。これらの図形は、視点が動いていくために見え方が違っただけである。だから、もともと「対象としては同じもの」だと考えよう、というのが射影幾何学だ。正方形~台形~たこ形~ただの四角形の、共通点は何であろうか?・・・「4つの線分に囲まれている」という性質がある。そしてこの性質は、4つの図形に共通している。(168ページ)
構造とは
視点が移動すると、図形は別な形に変化する(射影変換される)。そのときでも変化しない性質(射影変換に関して不変な性質)を、その図形の一群に共通する「骨組み」のようなものという意味で、〈構造〉と呼ぶ。〈構造〉ち変換とは、いつでも、裏腹の関係にある。〈構造〉は、それらの図形の「本質」みたいなものだ。が、〈構造〉だけでできている図形などどこにもない。〈構造〉は目にみえない。その意味で、抽象的なものだ。(169ページ)
幾何学という数学
幾何学では正方形は定義される。しかし正方形に対する視点を移動させると射影は形を変える。西欧の近代啓蒙思想は遠近法に代表される様な一つの視点に過ぎず、他の視点を導入するとそこに構造が現れる。本質は「「4つの線分に囲まれている」という構造であって西欧の近代啓蒙思想は一つの視点に過ぎないことになる。
構造主義の持つ意味
思考を数学や科学のかたちで表現しても、少しもその時代・その社会の課する制約を抜け出したことにはならない。つまり、数学や、科学を生み出したからといって、西欧近代の知が徳悦に普遍的であるとは限らないのだ。(129ページ)
絵画に例えると
西洋の近代絵画の歴史を、近世初頭に確立した遠近法が解体していくプロセスと考えてみると、面白い。射影幾何学がもっと進んで、位相幾何学(トポロジー)の段階ともなると直線もなにもかもなくなるから、図形もムンクかベーコンの絵みたに“ぐにゃぐにゃ”になってくる。またピカソの「泣く女」みたいに、正面と横顔と、複数の視点からの像をひとつの画面に統合してもいいわけだ。(191ページ)
西欧文化圏は構造主義によって、近代啓蒙思想を乗り越えていた、という事に気づく。構想が複数の視点を許容する、というその点だけで西欧は「解放」されていたのだ。
蛇足
構造を東洋的に捉えれば関係性。
こちらもどうぞ