浮世絵に学ぶ 、"移動する視点という思考法"~「日本人と遠近法」、どうして日本画は遠近法を持たなかったか?
「遠近法をもつかもたないかを宗教以外で説明するとしたら、どうなるか」。
浮世絵「お仙と団扇売り」
http://jouraku.kir.jp/user/sub051.php
この図がすでに西洋遠近法についての知識をもつようになってからの作品であることは、お仙の背後にならぶ一本の鳥居の柱と日本の樹木の大小のえがき方をみれば納得がゆくであろう。この図で注意したいのは、茶屋の縁台に腰掛けて団扇売りに顔を向けたお仙の姿態である。一見、写実的にえがかれた若い女性の自然なポーズのようであるが、このスタイルを実際に自分でとろうとすると身体が幾重にもねじれて不可能なことに気づくはずである。この図では、顔、上体、腰、膝から下方の両足と、四つのパーツがばらばらに組み合わされて、お仙という一人の女性が作り出されているのである。一人の人物をクローズアップするときですら、画家の視点は自由に移動している。(106 ページ)
日本画は視点移動
日本の原始絵画のほとんどすべては、対象に接近して描いた個々の主題を組み合わせて大画面を構成する「画題組み合わせ=視点移動」の方法によって描きあげられてる。(132ページ)
それではなぜ日本画は視点移動させるのか?
諏訪氏は「美術史の範疇の中で求めることは不可能である。」(111ページ)、そしてそれをアニミズムによって説明しようとする。アニミズムとは生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」など。
すべての物に霊が宿っているとすれば、すべてのものに視点を合わせて描写する事が必要になる。この発想は絵画から日本文化全般に拡張可能であると説明する。例えとして歌舞伎が様々なストーリーのオムニバスになっている事、日本の神話には空間的に分散する多様な神々が登場する事などをあげる。
現代絵画もまた視点が移動
遠近法が一つの固定した視点からの描写に対し、日本画は視点の移動をもたらす。現代はは人間の知覚が絶対的なものではない、と考えるべき時代である。あえて相対性理論や脳科学を持ち出す必要はない。ピカソに代表されるキュービズムなど現代芸術はすでに視点の移動を行った数多くの作品を生み出しているのだから。浮世絵はキュービズムの先駆けだった。
蛇足
移動する視点で見る!
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