毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

メディアミックスの現代的意味について~書評「メディアミックス化する日本」 大塚英司氏の近著

メディアミックス化する日本 (イースト新書)

大塚氏はまんが原作者、批評家 。「モラルなきWebは愚民政治装置である」

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メディアミックス(media mix)とは、広告業界の用語で商品を広告・CMする際に異種のメディアを組み合わせることによって各メディアの弱点を補う手法というのが原義。(wiki

本書で定義されるメディアミックス

(今後のメディアミックスは)「原作」の代りに「世界観」を上位に配置する。「世界観」は東浩紀的に言えばデータベースであり、物語消費的に言えば歌舞伎の世界である。その中には生成システムそのものも含まれると仮説的に考えておく。「世界観」の内部がTRPG(テーブルトーク・ロールプレイング・ゲーム)のキットの様に整理され順序立てられるか、あるいはレヴィ=ストロースがいう神話素のようなものがランダムにあるかという下位モデルは設定可能だが、どちらからどちらに変化したという歴史的変遷はとしては位置づけられない。(24ページ)

太平記における世界モデル

彼ら(太平記を即興で物語る芸人)が寄席に移動し、それが講談となり、あるいは同じシステムで、歌舞伎や浄瑠璃において「太平記」を「世界」として多様な戯曲が趣向として生成する。そして、この様な「世界―趣向」モデルは近代以前の社会では日本以外でも、どの地域にも存在する。むしろ近代以前の物語の主要な形式なのである。(25ページ)

文化生成システムの新たな反ユートピア

自由であるべき文化生成システムが、企業に隷属させられる時代が到来した。想像力=創造力が管理された世界で、政治や権力が作り出す“大きな物語”に自ら参加する大衆は、どんな「ディストピア」を現出させるのか?まんが、アニメ、文学、宗教など、戦後日本のポップカルチャーの展開を縦横に参照しながら、「メディアミックス」の名に下に進展する危機を浮き彫りにした挑発的講義「東大裏ゼミ」を紙上再現(本書扉より)

再びメディアミックスとは何か?

本書で論評されるメディアミックスは、ヘビーユーザーが作った二次的作品も取り込んだ世界観を流通させる事である。Wikiでは「特定の娯楽作品が一定の経済効果を持った時、その作品の副次的作品を幾種類かの娯楽メディアを通して多数製作することでファンサービスと商品販促を拡充するという手法のことを指すことが多い。」と説明されている。

メディアミックスを可能とするインフラ

IT化、高速回線は動画のアップロード、閲覧を可能とした。世界観は断片的に与えられるからこそ、ユーザーの二次的創作意欲を刺激する。著者は1989年の東西冷戦の集結を持って資本主義対共産主義という大きな物語が消滅したと言う。大きな物語の消滅した今、人々はTRPGの世界観に引き寄せられる様に、何らかの政治的意図を持った世界観に吸収される危険性を指摘する。太平記の世界モデルでは様々な参加者を時間的、空間的、経済的に多様な舞台で活躍していた。それが今やIT空間に統合されようとしているというのだ。

蛇足

メディアミックスという言葉を理解する

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