我々の意識はあくまで「写像」にすぎない、それでは「本体」は何か?~脳神経科学のアプローチより
著者のエーデルマン博士は1972年「免疫抗体の化学的構造に関する研究」でノーベル賞を受賞。
「私」が感じるこの「感じ」。「私」と「感じ」はいかにして脳から生まれるのか?世界中の科学者、哲学者が苦悩する難問に、ノーベル賞受賞の脳科学者がついに答える。驚くべき知見に満ちた書。
神経細胞群選択説
“①選択主義と②集団的思考に基づいたモデル。①は神経細胞のネットワークが段々に成長し、重要度で意味づけされ、多様なネットワークが形成される、そして②で多様な神経ネットワークは時間と空間の双方を軸にマッピングされその集団の中から選択されていると考える。この意味を「進化においては、適応度の高い個体が生き延び、より多くの子孫を残すものなのだ。個々の脳においては、そうして価値観や報酬に適したシナプシス集団が生き残り、次の行動を生み出す基盤となる。(52ページ)」と表現する。
ダイナミック・コア
神経群選択説に従って形成される神経機能の塊(クラスター)であり、主に視床-皮質系で営まれる。コアは信号を主にコア自身の中でやりとりし、その再入力正の信号のやりとりが意識状態を生み出す。
ダイナミック・コアと意識
ダイナミック・コアによってもたらされた精緻な識別能は、間違いなく進化的に有利であったろう。・・・情動を豊かに伝え合う動物はより適応力が高く、識別をもたらすC’の能力を、その識別について伝えることに結びつけたほうが好都合だ。そのように進化した動物は、C’の状態をCという表現で伝達するのではないか?結局のところCだけが、当の動物や他の動物にとって知ることのできる情報、すなわちC’を忠実に反映する情報なのである。
「この世界は因果関係において閉じている、そして因果的効力をもつものはC’だけである」という事実は、Cの状態がC’の状態を忠実に反映する限り、コミュニュケーション手段としてのCの役割を少しも貶めるものではない。
現象変換はあくまで写像、ダイナミック・コアの影
ダイナミック・コアとその投影たる意識、そして感情
ダイナミック・コアによってもたらされた認識能が主体であり、意識は主体の投影にすぎずダイナミック・コア以外とのコミュニュケーション手段に過ぎないという関係戸説明する。意識の一つの形態が感情だとする。感情に意味があるのではなく、感情は自分のあるいは相手のダイナミック・コアの働きを知る為のコミュニュケーション手段という事。感情を制御する為には本体のダイナミック・コアに働きかける必要がある事になる。原書の副題は「意識という驚くべき贈り物」、意識があるからダイナミック・コアを認識できる。
脳は空より広いか
著者はディキンスン(1862年頃)の詩から本書タイトルをつけた。
脳は空よりも広い/ほら、二つを並べてごらん/脳は空をやすやすと容れてしまう/そして あなたまでも/
脳の中にはこの宇宙以上の領域が存在する。その中からダイナミック・コアという因果律によって選択されたものが意識であり、それを我々は自分と認識している。
蛇足、金子みすゞ を連想
泥のなかから 蓮が咲く。それをするのは蓮じゃない。
卵のなかから 鶏がでる。それをするのは鶏じゃない。
それに私は 気がついた。 それも私のせいじゃない。
蛇足の蛇足
ダイナミック・コアに働きかけるにはどうするか考えてみる。