毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

聖書の「禁断の果実」はリンゴで無かった!~それは私たちもよく食べる「甘い」果物

 バナナの世界史――歴史を変えた果物の数奇な運命 (ヒストリカル・スタディーズ)

ダン・コッペル氏はサイエンスライター

バナナのファクト

・果物のうち国産と輸入の比率は6:4、輸入果物のうち半分がバナナ、バナナは日本人の果物の消費量20%を占めている。

 8キロ/年間一人当たりの消費量、・統計上の価格は1㎏で1㌦、日本の市場規模は1000億円。95%がフィリピンからの輸入。

 ・先進国に輸入される多くのバナナが「キャベンディッシュ」という単一種。

 

 バナナの歴史

 バナナの歴史は大変古く、紀元前5千年~1万年ごろ、偶然できた種のないバナナの苗を、人間が栽培化したのが、現在のバナナの始まりといわれています。

 私たちが食べているバナナは主に、マレー半島原産の「ムサ・アクミナータ」とフィリピン原産の「ムサ・バビルシアーナ」の2種がもとになっていると考えられています。バナナの歴史 | バナナ大学

 

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バナナから既成概念を壊す~聖書に書かれた禁断の果実は「バナナ」だった

 西洋でエデンの果物と言えばリンゴ、というのは当然のことと思われるので、私はこの本を書くための取材を通じ、ヘブライ語やギリシャ語で書かれた最初期の聖書で、その果物がリンゴに特定されている訳ではない、と知り少なからず驚いた。

 

4世紀、ヘブライ語からラテン語に翻訳

今常識となっている解釈は、聖ヒエロニムス(340420、)が、依然からあった様々な聖書のテキストをラテン語に登一し、ヴルガータ聖書を作った紀元400年前後に定まったようだ。エデンの「善悪」の果物というヘブライ語を訳すとき、ヒエロニムスは“malum”というラテン語をあてた。聖書考古学者のシュネイア・レヴィンによればそれは、むしろ「悪意ある」という意味に近いそうだ。(24ページ)

 

15世紀グーテンベルグ聖書以降「悪意ある」果物は同音の「リンゴ」と解釈

ラテン語のヴルガータ聖書を印刷した)グーテンベルグ聖書を読んだルネッサンス時代の画家たちは、その単語が(同音の)リンゴをさすと解釈し、エデンの園の絵にリンゴを描き入れるようになったのだ。(26ページ)

 

旧約聖書では「バナナ」は「イチジク」と呼ばれていた

古代史においてバナナはイチジクと呼ばれていた。インドでバナナを最初に初めて見たアレクサンドロス大王は、これをイチジクと記し、新世界のスペイン人探検家たちも同じことをした。決定的とも言うべき証拠は、古代ヘブライ語にある。古代ヘブライ語は「モーセ五書(創世記を含む旧約聖書の初めの五書)が記された言語であるが、(前述の聖書考古学者)シュネイア・レヴィンによれば、禁断の果実を示す言葉ははっきりこう翻訳される-「エバのイチジク」と。(27ページ)

 

バナナとリンゴとイチジクが示す事

 我々は旧約聖書の時代からリンゴと書いてある、と思ってきた。それは言葉の変遷、翻訳による表現の変化、によるものである。そもそも言語が何らかの概念を伝えるものであれば時と場所により解釈の巾は存在して当然である。バナナとリンゴとイチジク、いずれもも「禁断の果実」という抽象概念を表象させていると言える。我々が知らなければいけない事、聖書のリンゴすら解釈の巾がある、という事。

 

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蛇足

バナナの原種には種がある、現在のバナナには種がない。