毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

いつ携帯電話にカメラが付いたか覚えていますか?~それがパーソナル・メディアの始まりだった!

 

今こそ読みたいマクルーハン小林氏は経営コンサルタント「 私たちの社会は常に新しい「メディア」に直面してきました。」

マクルーハンの主張「メディアはメッセージ」

 

普通、メディアとは「媒体」を表すが、その時私たちはメディアによる情報伝達の内容に注目する。しかし、マクルーハンはメディアそれ自体がある種のメッセージ(情報、命令のような)を既に含んでいると主張した。またテクノロジーやメディアは人間の身体の「拡張」であるとの主張。自動車や自転車は足の拡張、ラジオは耳の拡張であるというように、あるテクノロジーやメディア(媒体)は身体の特定の部分を「拡張」する。(wiki)

 

今から14年前に新しいパーソナルメディアが誕生

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懐かしい!、2000年当時私の第一印象、「誰が使うの?」

 

現在の様な形、そして使用方法としての「カメラ付き携帯電話」の第一号は、200011月にJフォンから登場したシャープ製端末「J-SH04」です。(中略)このJ-SH04は、同時に発表されたサービス「写メール」との相乗効果もあって大ヒットとなります。写メールとは撮った写真をメールで送れるという、今となっては当たり前のサービスなのですが、当時としては画期的なことでした。

 

さて、カメラ付き携帯の普及と時を同じくして、それに反比例するように地位を低下させていったメディアがあります。それは「マスメディア」。より正確に言えば、「映像で速報を報じるマスメディア」と表現できるでしょうか。

 

今から2400年前、新しいメディアをソクラテスは批判

 

ソクラテスは)『人々が文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中に、忘れっぽい性質が受け付けられる。それは他でもない、彼らは外部的に書かれたものを信頼して、自分の力で思い出すことをしないようになるからである。』(中略)ここでやり玉に挙げられているのは紛れもなく「文字」というメディアです。現代の僕らからすれば考えられないような批判ですが、確かによく考えると、情報を文字として残すことで自分の頭で記憶する必要がなくなります。また他人の書いた文字を読むことで、他人の知識を一時的に借りることができます。(45ページ)

 

 

 

テクノロジーは常に新しいメディア(媒体)を過去も生み出してきたし今後も生み出していく。新しいテクノロジーは常に批判され、またマイナス部分もある。しかし我々はメディアを使ってきた。

 

よく知られている様に文字と印刷技術が組み合わさり商業出版が成立した。同様に画像はとSNSと組み合わさりソーシャルメディアが成立した。我々はメディアの進化によって行動を、そして社会が変化する中に住んでいる。GoogleGlassがもたらす変化、それはJ-S04がもたらした変化の延長線上にある。そしてそれは必ず新しいメディアであり、マクルーハンによれば、新しいメッセージを生み出す。

 

蛇足

 

社会は変化してきた、そして変化し続ける、当たり前に気付けることが重要。