毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

高級レストランとコンビニに共通するもの~ビジネスが社会を変えた

 お菓子でたどるフランス史 (岩波ジュニア新書)池上氏は中世ヨーロッパ史の研究家
 フランス革命(1789~)がレストランを造った

フランス革命後、特権階級であった貴族の多くは没落しましたが、市民の中には富裕化への道をあゆむ者もいました、貴族の館に務めていた料理人は就職先(貴族の家)があればよかったのですが、ないときは自分で町中に店を出そうとしました。

 

王弟プロヴアンス伯(のちのルイ18世)に仕えていた料理長ボーヴィリエも、革命後レストランを出すことにしました。彼が店を出したのは、後に美食の中心地にあるパレ・ロワイヤルとう豪華な界隈の一角、ガルリー・ド・ヴァロワ(ヴァロワ回廊)でした。贅沢な装飾で飾りたてられた綺麗で快適な、極上のレストランだったそうです。(134ページ)

  

初めての高級レストラン「Grand Taverne de Londres

固定した営業時間中に客が個々のテーブルの一人分の場所に座り、メニューから料理を選ぶ最初のレストランは1782年にアントワーヌ・ボーヴィリエによって創られた。彼は『料理人の技術』(L'Art du cuisinier1814年)を著した。(wiki)

 

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料理学校、辻調グループによる当時のメニューの再現、辻調グループ校 コンピトゥム Compitum

 

 レストランは画期的だった

このころのパリには、ジャーナリスト、外国のスパイや使節、議員などの独身者が多くいて、外食ができるこうしたレストランは、彼らには極めて便利でした。予算と体調に合わせてメニューのなかから好きなものをチョイスできる事も、開店時間中ならいつ行ってもよいというのも、画期的なシステムでした。それまでは、ひとつの大きなテーブルに決まった時間に決まった料理が出され、それを食べるしかなかったのです。旅人も、自宅に台所のない近所の人や地元の職人、労働者に混じって宿屋やトレトゥールと呼ばれる仕出屋の「定食用テーブル」について、おとなしく食事をするしかありませんでした。毎日おなひ献立で、調理もひどく、自分の欲しいものを注文したり要求することもできませんでした。

 

料理人らが貴族の館を離れて、町中でレストランや仕出し夜を始めると、フランス料理はいっそう洗練され、また民主化されていきます。なぜなら非凡な学者や芸術家たちが次々と食文化に身を投じて批評を繰りひろげ、美食の伽藍建設のための医師を積み上げていったからです。(135ページ)

 

社会構造や文化は短いサイクルで変化をしていくもの。我々が普通にイメージするレストラン、わずか200年の歴史しかない。

蛇足

同様に我々はいつからコンビニが当たり前になったか、もはや意識していない。