私は特別な存在、あなたも私同様特別な存在、これって上から目線?~宇宙論より
広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス
スティーブン・ウェッブ氏は英の物理学者。序文に「本書はフェルミ・パラドックスの本だーエイリアンがいる証拠が見つかってもよさそうなものなのに、いるようには見えないという矛盾の事である。私は17歳のとき、このパラドックスと初めて出会い、それに魅了され、今もそれに取りつかれている。」(7ページ)
フェルミ・パラドックス~「みんなどこにいるんだろうね。」
「発達した通信能力を持った地球外文明,ETC(Extra-Terrestrial Civilization )は銀河系にいくつあるか?」1950年の夏、フェルミは米ロスアラモス研究所のランチで語った。
エンリコ・フェルミ(1901-1954)伊ローマ出身の物理学者。統計力学、核物理学および量子の分野で顕著な業績を残しており、放射性元素の発見で1938年のノーベル賞受賞。受賞後米へ移住しマンハッタン計画に従事、実験家と理論家との二つの顔を持つ。(Wiki)
実は来ている?
本書では49の解を、①実は来ている、8個、②存在するがまだ連絡がない、22個、③存在しない、19個、そして自分の考えを1個紹介している。本書は「49の解が宇宙論、物理学、生物学、数学、確率論から社会学、SF的想像力までを総動員」(本書の帯より)、巻末には膨大な注とリーディングリストが付与、知的好奇心を刺激する。
解24 向こうは別の数学を作っている。(存在するが未だ連絡がない)
算数の基礎ー世界中の数学界がこれほどすばらしい抽象思考の構造物を築き上げてきた元ーは生得のものだと論じてもいいかもしれない。整数は、人間の意識とは別個に存在する観念的なプラトンのイデアではなく、われわれの頭が生み出したもであり、われわれの祖先の脳が身の回りの世界を解釈する方法という人工物なのだ。これが正しければ、とんでもない疑問が生じてくる。ETCの数学はどんなものであろう。(中略)人間の数学は技術的な発達を可能にしたということだ。この種の数学は科学技術の展開には必要かもしれない。文明が恒星間の距離を超えて放送できる電波送信機を建造するには、逆二乗方程則をはじめ、大量の「地球的」数学を理解しなければならない。(中略)数学そのものが普遍的でも、知性体が異なれば、それが認識し、研究するパターンのタイプが違うかもしれない。数学者にとっては、異なる数学体系について知ることほど興味深いことはない。私にとっては、その事があればこそ、ETCが互いに連絡を取りたがる可能性はさらに高まるように思えてくる。(181-183ページから再構成)
整数はプラトン的イデアか?
プラトンの哲学は、数学と数学法則が、時間と空間の領域の外に、何らかのイデアとして存在していると考える。(中略)数学者は元から存在している絶対の数学的真理の塊を探しているのである。数学は考案されるのではなく、発見されるという事だ。(180ページ)
著者は「注と文献」で強度な反プラトン論としてチャイティンの不完全性定理を挙げている。チャイティンについては「セクシーな夢、数学からみたランダム性」を参照。
平凡原理は傲慢か、自己複合は傲慢か?
著者は解50で「知的生命体を備えた惑星は地球だけ」と主張する。そしてこの意見に対して平凡原理を紹介する。
このような構図はしばしば平凡原理を侵していると言って批判される。地球と人類が特別だと言っているように見えるのだ。傲慢も甚だしいではないか。(362ページ)
私の理解では平凡原理とは「地球は太陽系では特別な天体ではなく、多数ある惑星のひとつに過ぎない。地球は、太陽系は、銀河系は特別なものではなく多数のうちのひとつにすぎず、生命は、ほ乳類は、人類は特別な存在ではない。」というコペルニクスの地動説によって提示された考え方の事。
逆説的なことに、少なくとも私の頭では、他にももののわかる生物種がどこかにいるに違いないと期待する方が、傲慢のにおいがする。(362ページ)
著者は「人間も知的生物に進化できたのだから他の惑星の生物に進化できるはず」と考えるのは「生物遺伝子中立論をランダムウォークで説明し、そこには進化する意図=自己複合が生じている事と同義だ」、由に傲慢だと説明する。
蛇足
宇宙人を考える事は自分を考える事。